見出し画像

クソみたいな世界を生き抜くためのパンク的読書 『未知を放つ』

わたしにとってのSALAD DAYS

「こうあるべき」という正しさにとらわれたとき、自分らしさを見失う。「自分らしさ」という自己の輪郭にとらわれたとき、新しい可能性を見失う。

視点が定まらず、足元もおぼつかず、我を見失いそうになる時、わたしは憧れのパンクスの在り方を指針にする。それは自分のままで生きる力強さと、自分らしさに固執せず変化し続ける自由の精神だ。

パンクスの力強さと、自由の精神。

なんだかカッコよく見えるそれらのほとんどは、元来備わっていたものではなく、試行錯誤を経て獲得したものか、いまも葛藤しながら「そう在りたい」と志している姿だ。生きづらくて、弱くて、情けない。それがパンクスの本質で、それに抗い模索する姿勢がパンクスの力強さと自由の精神だと思う。

しいねはるかの『未知を放つ』(地下BOOKS刊)にはそんなパンクスの本質が詰まっている。

本書はコンプレックスを煮詰めた著者によるノンフィクションエッセイであるが、既成の概念に迎合せず生きようともがくその姿勢は、私が憧れるパンクスそのもだ。

就職、結婚、介護、終活。それぞれのライフステージで、性別や年齢に応じて社会から提示される「あるべき姿」や「期待される役割」。子ども時代にはたくさんの夢や希望がバラまかれるのに、成長とともに未知の可能性は回収され「まともな企業に就職すべき」「結婚すべき」「家族は大事にすべき」といった既知の固定観念が配布される。

それらの”常識”や”普通”に対して「そんなもんクソくらえ!」とパンク的な思想で蹴散らす前に、著者はどうしてもそこからはみ出してしまう。普通に生きようとしても、常識に合わせて自分を小さくしてみても、心身がついてこない。著者はこう思考する。

既存の概念に迎合しようとする。受け入れてもらうために自分を低く見積もる。(…)それらの行動は自分の可能性を制限するようだ。迎合しているように振る舞うことで世の中がまわっているとしたら、それってほんとうに機能していると言えるのだろうか?(P.43)

いくつもの失敗を経て、著者は無理して社会に自分を合わせるのではなく、自分のまま社会で生きようと試みる。

それは「ファックオフ常識!」「生活に革命を!」的なパンク風の壮大なメンタリティではなく、ただただ日常で小さな実験を繰り返すことだった。

愛を知りたくて婚活をしてみる。家族にコンプレックスを抱えたまま父親の介護を始めてみる。対話に苦手意識があるまま銀座で働いてみる。たまたま仲良くなった大家のおばあさんの看取りをする。仕事を20回以上クビになり体調不良の先で出会った整体の修行をしてみる。

過去にとらわれ、コンプレックスを抱えながらも、未知を開いて実験と検証を繰り返す。その都度、自分を更新していく。著者の小さな失敗に笑い、他者の生と死に寄り添う姿に感動しながら、自身の内面に向き合う姿に勇気をもらう。

自分はクソ野郎だと低く見積もって、どうにか社会に迎合しようと生きてきたわたしは、本書を読みながら「自分はどうありたいのか」を考えざるを得なかった。

いまの社会に不満がある。豊かな世界にしたい。そう思って「多様性は大事!」だとか「分断をなくそう!」と大きな主語で叫んでみても、世界にも自分にも響かない。自分が世界と繋がり、豊かな社会を目指すためには、主語を小さくして自分に向き合う必要があった。

弱さ、逃げていたこと、不安定さ、無駄だと思っていたこと、いやだなと思って避けていたこと、全部隠したらよくない?埋め立ててしまえばよくない?と思っていた。社会が変わるといいなと思った時期もあったが、今は一人一人の土壌を耕すことが近道だと思っている。(P.200)

婚活、親の介護、友人の終活、仕事と生活。日常生活の中で著者が「自分はどうありたいか」を考え向き合ったそれらの記録は、読む者にそれぞれの生き方を想起させるだけでなく、理想の社会や豊かな世界を考えるキッカケになる。

The personal is Political。そうか。小さなことも、なんでもない日常も、うまくいかなかったことも、無駄足じゃなく世界を変える沢山のチャンスだったのか。既知の価値観に囚われず、未知に我が身を放つことでこんなにも世界は豊かになるなんて。

そう気付かせてくれた本書は、既成の概念に迎合することなく自分のまま生きたいともがく全パンクス必読の名著。

書影_210610

紹介した書籍
『未知を放つ』

著:しいねはるか
出版:地下BOOKS
定価:1,500円(本体1,364円+税)
判型:B6判
頁数:215頁
発売日:2021年6月下旬予定


今後の出版活動へのサポートをお願いします