『死談~ともしびついえて~』台本
『死談(しだん)~ともしびついえて~』
作:安島崇
真っ暗な室内。
着物に身を包んだ若い女・英(はなぶさ)瑞恵(みずえ)、蝋燭(ろうそく)の灯(あかり)と共に登場。
座布団に座り、客席に深々と頭を下げる。
瑞恵 ——さて。今宵お話しますのは、鶴泉南雲(つるみなぐも)、人生最後の物語です。
ご存じない方の為に説明いたしますと、鶴泉南雲は私と同じ怪談師です。鶴屋南北(つるやなんぼく)と小泉八雲(こいずみやくも)にあやかり、その性と名からそれぞれ一文字ずつ取って鶴泉南雲。
彼はただ怪談を語るだけではなく、不思議な術で自らの語った怪異——即ち、南雲の言うところのあやかし達を操ることができました。その力を活かし、南雲は本業の傍ら、あやかし退治なども請け負っていました。
逸話は数多く残っていますが、どんな物語にもいずれ終わりはやってくるもの。それは南雲といえども例外ではありません。
どうやら使役することができるあやかしにも限りというものがあるようで。その限りを超えてなお無理をし続けた結果、まだ四十(しじゅう)手前である南雲の髪の毛は雪のような白に染まり、体調を崩すことも多くなりました。
やがて南雲は、たちの悪い風邪をこじらせ肺炎になり、床に伏せることとなりました。
南雲には一人、若い女性の弟子がおりました。出会った当初は「僕は弟子を取れるような立場ではありません」などとつれない態度をとっていた南雲でしたが、その頃には既に、彼女を自らの一番弟子と認めていました。
その弟子も、間が悪く用事の為に遠出をしており、屋敷に居るのは南雲と近所の医者のみ。医者は厠へいくため席を外し、部屋には南雲一人が残されました。
※以降、瑞恵の一人二役 南雲=南 死神=死
南「(咳き込み)……病の為、死に近づき過ぎているからか……はたまた体が怪談に呑まれ、自らがあやかしに近づき過ぎたからか……もはや、体に感覚がない……熱さも、寒さも感じない……僕は……僕は、どうやら本当に死ぬようですね……」
覚悟を決めた南雲の枕元で、誰かが腰を下ろす気配がしました。
医者が戻ってきたか、もしくは、近所の川から、河童がキュウリでもねだりにやってきたのか——そう思った南雲でしたが。
死「ひっひっひっ……お前さん、まあ、そう死に急ぐなよ」
南「え?」
見れば、そこには黒い襤褸(ぼろ)を纏った、えらく不吉な男が座っていました。
南「(咳き込み)……誰です、あなたは?」
死「俺かい?俺はなぁ、死神だよ」
南「死神?」
死「そうさぁ。あんたみたいな、今際の際の人間の枕元に現れる死神様だぁ」
南「なるほど……今まで、鬼やら天狗やらいろいろ相手取ってはきましたが、死神に会うのは初めてですよ」
死「ひっひっひっ……そいつは光栄だねえ」
南「ところで、先ほど『死に急ぐな』と言っていましたが」
死「ああ、そうだった。お前さん、もう少し生きたくはないかい?」
南「そうですね……生きられるなら、生きてみたいですが……」
死「そうかい、そうかい。そうこなくっちゃあな」
南「見逃してくれるんですか?」
死「場合によっちゃあな。お前さんには、俺の暇つぶしに付き合ってもらう」
南「暇つぶし?」
死「ああ。寿命をかけた、ちょっとした勝負よ」
南「勝負、ですか……(咳き込み)囲碁か将棋でも指そうってんですか?」
死「そういう時もなくはないが、俺は長考(ちょうこう)するたちでね。残念ながら、お前さんにはもう時間がない。ここは一つ、古典的なやり方でいこうか——周りを見な」
言われて初めて、南雲は自身が、小舟に横たわっているのに気がつきました。
起き上がって辺りを見渡すと、そこはどうやら、鍾乳洞の中に広がる湖のようでした。
水面のあちこちには、小さな島のように、沢山の岩が突き出しています。その上には無数の蝋燭が並び、洞窟内を明るく照らしていました。
南「ここは、一体……?」
死「お前さんは今、肉体から魂が抜け出た状態だ。体調も楽になっただろう?」
南「言われてみれば、確かに……」
死「さて、と——ここからが本番だ。お前さん、どうやら怪談師らしいが、落語は好きかい?」
南「まあ、人並みには……とすると、あの蝋燭はやはり、『死神』の噺(はなし)に出てくる通りの?」
死「おうよ。人間の寿命の蝋燭さ」
小舟は自然と、とある岩のすぐ近くで止まりました。
死神は、小舟から岩へとひょいっと飛び移りました。
死「ほら、ついて来な」
岩の上にはある程度の間隔を置いて、やはり沢山の蝋燭が並んでいます。
そんな中一本だけ、今にも燃え尽きてしまいそうな短い蝋燭がありました。
死「わかるか?こいつがお前の寿命だ」
南「それで?落語では確か、新しい蝋燭に火を移すんでしたか?」
死「ひっひっひっ……話が早いねえ。そうとも。ほら、こいつが代わりの蝋燭だこれに上手く火を移せれば、お前さんの勝ち。寿命を延ばしてやる。しかし、失敗したら、俺の勝ち。俺が勝ったら——わかるよなあ?」
南「なるほど。ぐずぐずしてはいられませんね。では、早速——」
死「おおっと、待ちな。このままじゃあつまらないだろ?お前さんはなかなか肝も据わってそうだし、手が震えることもなさそうだ。だから——こうする」
そう言って、死神がニヤリと笑った次の瞬間——
南「(激しく咳き込む)こ、これは、一体……!?」
死「そいつはお前さんの肉体の記憶だ。慣れたもんだろ?」
南「こ、こんな状態で、火を移し替えろと……?」
死「泣き言を言っている暇はねえぜぇ?ほら、早くしないと消えちまうぞぉ?」
南「わかってます……わかってますよ……」
死「おいおい、大丈夫か?手がぷるぷる震えてるぜ」
南「誰のせいだと……」
死「ひっひっひっ……そう睨むなって」
南「くっ……目の前が……霞む……」
死「ああ、そうだ、そうだ——お前さん、火を操るあやかしが仲間にいるだろ?」
南「よく、ご存じで……」
死「忠告しておくがなあ、そいつの力で火をつけるなんてインチキは無しだぜ?第一、そんなことしても意味がねえ。お前さんの命は、手に持った蝋燭でもなければ、震えている体でもない。お前さんの命は、そのちろちろ燃えている火だ。いいな?」
南「ええ……わかりましたよ……」
死「ひっひっひっ……早くしないと消えちゃうよぉ?」
南「五月蠅(うるさ)いですねえ……」
死「震えると消えるよぉ……消えるよぉ……消えるよぉ……」
南「(荒く息をつく)」
死「消えると——死ぬよ?」
南「——よし、ついた!」
——と、南雲がほっと息をついたその時です。
南「(激しく咳き込む)」
——突然の咳によって、せっかくついた火は掻き消えてしまいました。
南雲は大きく眼を見開くと、そのままゆっくり、冷たく硬い岩の上へ倒れこみました。
手から離れた蝋燭はころころと転がり、水の中へぽちゃんと落ちました。
死「ひっひっひっ……死んだか……惜しかったねぇ……まあ、これも天命と思って諦めな」
南「——いいえ……まだです」
死「何いっ!?」
死神が驚いて振り向くと、死んだとばかり思っていた南雲が、よいしょと上体を起こしていました。
南「ああ、死ぬかと思った」
死「そんな馬鹿な……!」
そう言えば消えかけの蝋燭を確認していなかったと、死神は慌てて南雲の蝋燭に目をやりますが、火はしっかりと消えています。
死「お、お前さん、どうして……」
南「蝋燭の火は消える瞬間が一番激しく燃えると言いますが——上手く燃え移ってくれてよかった」
南雲はそう言うと、着物の袖を見えやすいように掲げました。
見れば確かに、袖の端が僅かながらちりちりと燃えているではありませんか。
南「僕の命は、水におちた蝋燭でも、やつれたこの体でもない。本質はあくまで、この火——そうでしたね?なるほど、燃え広がるにつれ、どんどん体調がよくなっていく気がしますよ」
死「いや、しかし——熱くはねえのかい?」
南「幸い、今の僕は熱さも寒さも感じない体でして」
死「だからってよ——まあ、いいや。しかし、蝋燭はどうする?もう一本おまけでくれてやるほど、俺はお人好しじゃあねえぞ。お前さん、一体その状況からどうしようってんだ?」
南「どうもしません」
死「あん?」
南「僕はただここで、じっと座り続けるだけです」
その言葉の通り、胡坐をかいた南雲の体を、炎が包み込んでいきます。
死「座るだけって——そんなの、ちょっとばかしの時間稼ぎにしかならねえぞ?」
南「いいんですよ、それで。僕は何も、この先何十年も生きたいわけではありません。予想では、そろそろ帰ってくるはずなんですがね」
死「帰ってくるって——誰が、何処にだ?」
その問いかけに、南雲が答えるより早く——
女の声「師匠!師匠!」
——どこからか、女性の声が聴こえてきました。
ふと気が付くと、南雲は元居た部屋で、布団に寝ていました。
枕元に目をやると、そこには死神とは似ても似つかぬ、美しい一番弟子が座っていました。
南「ああ……来ましたか、ゑい。遅かったですね」
ゑ「師匠!しっかりしてください!師匠!」
南「そんなに怒鳴らなくても聴こえますよ……貴女が帰って来るのを待っていたんです……ちゃんとお別れが言いたくてね……」
ゑ「そんな、お別れなんて言わないでください!」
南「ゑい……本当に、本当に立派になりましたね……最初はどこの馬の骨だかわからない田舎娘だと思っていましたが、今の貴女は、私の自慢の一番弟子だ。思えば、貴女には厳しくし過ぎたかもしれません。嗚呼、こんなことなら、もっと早くに弟子入りを許していれば——……」
※一人芝居、ここまで
——と、瑞恵がそこまで語った時、咳払いの音が響く。
南雲 ——英君。
瑞恵 ……何ですか、兄様(あにさま)?今、いいところなんですけど。
客席側から、南雲登場。
天井から下がった紐を引いて、部屋の電気をつける。
南雲 練習の成果を見てほしいというので、黙って聴いていましたが——何か僕に、遠回しに言いたいことでも?
瑞恵 えー?別に、そんなことないですよお。まあ、兄様から教わった話に、ちょこおっと私流の脚色は加えてますけどお。
南雲 脚色、ねえ。お話の中の南雲さんですが——あれは、僕の真似ですか?
瑞恵 違いますよお。あくまで私の想像の中の、先代・鶴泉南雲ですう。
南雲 まあ、そういう事にしておきましょう。
瑞恵 にしても、襲名制度っていうんですか?そういうの、怪談師にもあるんですね。
南雲 別にそういう訳ではありませんがね。師匠は先代の芸に心底惚れこんでいたらしく、頼み込んで鶴泉の名を襲名したようです。
瑞恵 なるほど。それで、鶴泉ゑい。
南雲 ええ。そして、弟子の僕には南雲の名を授けてくれた。師匠の話では、僕と先代はどことなく似ている部分が多いようで。よく冗談めかして「あの厳しかった師匠を呼び捨てにできるなんて気分がいい」などと言っていました。
瑞恵 ふうん——(ハッとして)兄様!もし私が正式に弟子になったとしたら、やっぱり、鶴泉瑞恵になるんですか!?
南雲 そんな未来が起こり得るかどうかは別として——別に、英のままでいいんじゃないですか?無理に鶴泉を名乗らねばならない決まりはありません。
瑞恵 名乗りたい場合は?
南雲 止めはしませんがね。そんなことに気を回すよりも、まずはきちんと実力を——
瑞恵 あ、それじゃあ、私が二代目〝鶴泉ゑい〟を名乗るのはどうですか!?
南雲 何が「それじゃあ」なのかわかりません。
瑞恵 ほら!英(はなぶさ)って、漢字だと英国の英ですし。
南雲 これ以上話をややこしくしないでください……まあ、脚色部分はともかくとして、全体的には良かったんじゃないですか?
瑞恵 本当ですか!?やったあ!
南雲 先代の苦しそうな様子なんかは、なかなかレアリテがあったと思いますよ。
瑞恵 あっ、そうそう。レアリテといえば、この話って、本当の本当に実話なんですか?
南雲 少なくとも、師匠はそう言っていましたね。今際の際に、先代が話して聞かせてくれたそうです。「今ね、死神に一泡吹かせてやったんですよ」って。無論、先代の冗談の可能性もありますが。
瑞恵 ふうん、死神かあ……個人的には、鎌を持った骸骨を思い浮かべちゃいますけど。
南雲 それは西洋におけるイメージですね。まあ、落語の『死神』も、そもそもはグリム童話の『死神の名付け親』という話を、落語家の初代・三遊亭圓朝(さんゆうていえんちょう)が翻案したもので——ん?
瑞恵 どうしました?
南雲 ……何か、屋敷に入ってきましたね。
舞台袖から、奇妙な鳴き声が聴こえてくる。
河童の声 クエ――――ッ!
瑞恵 あーっ!あの河童、また勝手に上がり込んで!
瑞恵、袖に引っ込む。
瑞恵の声 ちょっとお!泥だらけじゃない!
河童の声 クエーッ。
瑞恵の声 ほら、お風呂場ついてきて!
河童の声 クエッ。
南雲 やれやれ……
南雲、紐を引き電気を消す。燃えたままの蝋燭に気が付く南雲。
南雲、蝋燭を手に取り、吹き消そうとする。
声 ひっひっひ……
南雲、客席の方へ目をやる。
南雲 ……これはこれは。「噂をすれば影がさす」と言いますが——珍しいお客人(きゃくじん)だ。
客席の方から、黒い襤褸を見に纏った死神が姿を現す。
死神 なあに、ついさっき、そこの家で、寝たきりだった爺さんがおっ死(ち)んだんだがよ。さて帰ろうかと思ったら、随分と懐かしい話をしてるじゃあねえか。
南雲 河童の気配に紛れて気が付きませんでしたよ。お茶でも飲んでいかれますか?
死神 ひっひっひっ……お構いなく。にしてもお前さん、俺が怖くねえのかい?
南雲 そうですねえ。死神などと言うとなんだか仰々しいですが——あやかしには慣れていますので。
死神 へえ?つまり、俺もあやかしの一種だと?
南雲 ええ。死に対する恐怖や、生への執着が、死神という像(かたち)で顕在化した存在——それがあなただ。そうした思いは世界中の誰もが持っていますからね。あなたは海を越え、その地域の文化に根ざした姿で現れる——どうです、この解釈は?
死神 ひっひっひっ……先代と似て、理屈っぽい野郎だ。いいんじゃねえか、お前さんの好きなように思っておけば。〝薔薇(ばら)という花の名前を変えても、香りは変わらない〟ってなあ。しかし——なるほどねえ——お前さんの蝋燭は、随分と面白い燃え方をしてやがる。
南雲 面白い、ですか。至って平凡な、つまらない人間ですよ、僕は。
死神 ひっひっひっ……自分のことってのは、案外自分じゃわからねえもんさ。
南雲 そんなものですか。
死神 そうさぁ。お前さんからはどうにも、死の臭いがぷんぷんすらあ。
南雲 ……ほう?これでも、健康には気を使っているつもりですが……
死神 そういうことじゃねえよ。すぐに消えちまいそうにも見える一方で、しぶとく燃え続けそうにも見える……面白いねえ……見ていて飽きねえ。
南雲 ……
死神 ひっひっひっ……なあんてな。ちょいと脅かし過ぎちまったか?極端な話、人間誰しも、いつ死ぬかなんてわからねえ。どれだけ立派な蝋燭の炎だろうと、いたずらに吹いた風で呆気なく消えちまうなんてこともある。なのに、どいつもこいつも、自分だけは大丈夫だと思ってやがるんだ……ま、何にせよ、あんたの番は今夜じゃねえ。縁があったら、また会おうぜ。
死神、客席方向の、闇の中へと去っていく。
死神の声 あばよぉ……ひっひっひっ……
静寂。
瑞恵がドタドタと音を立てて戻ってくる。頭には猫の耳が生えている。
瑞恵 ったぐ、あの河童、手間とらせで!——あれ、兄様、真っ暗な部屋で何してるんですか?
南雲 いえ、何でもありません……すっかりいい時間になってしまいましたね。蕎麦でも頼みましょうか。
瑞恵 やったあ!私、狸蕎麦がいいです!
南雲 河童には、キュウリでもあげておいてください。
瑞恵 はあい!
瑞恵、去る。客席の暗闇へと目をやる南雲。
南雲 ——愛弟子と、そして自らの使役してきたあやかし達に看取られつつ、南雲は静かに息を引き取りました。最後の瞬間、南雲は思いました。人生は所詮、蝋燭の火。あっという間に消えてしまう、儚い灯火。しかしそれでも——美しい輝きであったと。
南雲、手に持った蝋燭の火を吹き消す。
暗転。
※この戯曲は「怪談~あやかしかたりて~」の続編であり、同作品の1・5次創作アカウントから生まれた人物、設定を元に書かれた作品です。
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