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この際俯瞰は捨ててしまおう

久々のnoteですが未だにお笑い沼にハマっておりますこんにちはこんばんは或いはおはようございます。

海でもなく池でもなく、沼。
言い得て妙だなと思う。沼なんだよな。まじで。
私が沈みつつある沼に底はあるのだろうか?ちょっと怖い。

元々お笑いは強弱ありながらもずっと好きで、「弱」の時代でもうっすらと観てきたのだけれど、いつの時代も思うことがある。
それは、「芸人本人が楽しんでいるか」ということ。

なんでこんなテーマの話を書こうかと思ったか、から話すと、
若い、尖ってる系の芸人さんが居ましてね。
ちょっと気になるのでTwitter(新・X)でフォローしていた。
20代、芸歴数年。(今ググった)
日々の呟きを見ると、尖っていてナイーブで強くて弱い。
お前は太宰治か、みたいな男の子のようだった。
この子を見ていて「ああ、おそらくこの子は『自分が面白いと思うこと』をしたいとか、『人を笑わせたい』とかではなく、『人から面白いと思われたい』んだな」と思った。
目線が、いつも俯瞰なのだ。きっと賢い子なのだろう。

長くお笑いを見ていて思うのは、売れている人や長く残っている人は
「自分が楽しいか」
もしくは
「人を笑わせたいか」
のいずれか、またはその両方を持ち合わせている人が多いと思う。
舞台やテレビを観ていても、意外と分かるものなのだ。
ちなみにコンビ仲も観ているとある程度わかる。
「実はあの時めっちゃ仲悪くて」
なんて芸人が言ったりするけど、こちらとしては
「うん…知ってた…」
って状態のことは多い。これは、他のお笑いファン仲間との一致した意見。
ファンはめっちゃ見てるからね。そういうのすぐわかるのよ。
仲悪いも通り越して「もうお互いに全く関心がない」みたいなコンビもわかる。悲しいけど。
~閑話休題~
でね。
人を笑わせるにはある程度の俯瞰が必要だが、自分が楽しむということに俯瞰を持ち出したらおそらく破綻する。
それこそ太宰の人間失格に出てくるような「葉一」みたいなやべえ奴にしかならない。
お笑いに関しては、俯瞰は取っ払ったほうが良いと思うのだ。
他人からどう思われようがどうでもいいじゃない。楽しんだモン勝ち。
人は、誰かが楽しそうに笑顔でいると自分まで楽しくなってしまう生き物。
プロとして、という気概は尊敬するけれど、まずは自分自身に楽しんでほしいな、とファンとしては思ったりするわけです。

芸人コンビも音楽バンドも、自らが楽しめなくなったら解散や引退が近い。
ぜひぜひ、芸人さんには須く楽しんでいただきたいと思うのです。

んで、私も、いちお笑いファンとして
年齢も
立場も
性別も
懐事情も(!)
考えず思いっきり楽しみたいと思ってるです。はい。

というわけで、今日も私は推しの情報を求めて彷徨い歩いております。
このお笑いゾンビを末永く宜しくお頼み申します。

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