三児お母ちゃん×先生◼️2度の育休を振り返る④〜父を看取った2度目の育休〜
数日ぶりに、2度の育休を振り返るシリーズの続き。長男出産後、自治体を変えて復職した私。3年半働いて再び妊娠することができ、出産育休へ……
次男を出産した時に取得した2度目の育休で何がよかったかというと…「じっくり父の看取りに集中できたこと」。この、ひとことにつきます。
次男を出産してしばらくして、腰が痛い…体調がなんだかおかしい…と、ありとあらゆる検査を受けながら、原因がわからなかった父。次男5ヶ月の時、ようやく、原因が癌であったことが判明。そこから、7ヶ月後の看取りの時まで、怒涛の日々でした。
初めの1ヶ月
病院の検査や診察に付き添いの日々。東京の癌専門病院への受診にも付き添いました。父の状態は刻一刻と悪化していく日々。とにかく家族で作戦会議。他県に住む兄と連絡調整。母の話を聞く。父の病気や医療用語を理解するために、検索、本を読む、人に聞く。ドクターと掛け合う。父の体調が急激に悪くなって緊急入院。
2ヶ月
ベビーカーを押して、病院までお見舞いに行く日々。放射線治療などのあらゆる治療に、次男と一緒に付き添い、看護師さんたちのアイドルになる次男。
3ヶ月
ホスピスに転院することや、在宅看護を受ける段取りをとることをすすめられ、その手配に奔走。え?ホスピス?治療法ないの?お父さん死ぬの?どのくらいで?理解できない日々。
4ヶ月
在宅看護ではなく、ホスピスを選択し、転院。毎日のように病院には通う日々。母のメンタル面もサポートしたい気持ちありつつ、よく母とも衝突。
5ヶ月
父からのミッション2つ。
①葬儀屋を下見してきて。
②お寺さん探してきて。禅宗の戒名、すでにもらってるけど、浄土真宗のお寺さんでお葬式したい。そういうのオッケーな自由な感じのとこ、探してきて。
え??重すぎる…なんだそのミッション……
ともあれ、ミッション完了。
6.7ヶ月
いつも痛みで苦しみ朦朧とする父。終わりの時って、見えない、分からない。けれど、父は自身でしっかりと旅立ちの日を選んで、逝った感じ。なんと旅立ちの日は、両親の結婚記念日。
振り返って書いてみると
もうすでにほとんどの記憶がおぼろげになっている驚き。
もうすぐ亡くなって3年経つのに、いつまで経っても悲しいのだな、という事実に気づき…
60代の実の父の看取りを経験して……これが自分が仕事をしながらだったら、到底耐えられなかったと思いました。次男が産まれてきてくれたタイミングに、いつも感謝の気持ちでいっぱいに…。
今後仕事復帰して、こういうプライベートな苦しみ、辛さをかかえながら仕事をしている方と一緒になることも、きっとあるでしょう。仕事をしながら、家族を看取ることは、本当に想像を絶しますが…少しでも寄り添えたり、配慮ができたりする同僚でありたいと思います。
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