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私が私の人生を楽しみだして変わったこと

年中さん〜小学生の間、まぁまぁ熱心にピアノの練習に取り組んできた。


中学生、高校生の間も。「私は音楽家になって、音楽の道で食べていくことはない」と思ったものの、毎日2時間程度の練習は欠かさなかったし、時々はコンクールに出て、時々賞をもらうこともあった。当時、ピアノを続けていたのはなんのためだったのだろう?

思い返せば、
ピアノは「小さな成功体験」の連続で、
それが心地よかったからかもしれない。


初めて手にする楽譜。
真っ黒いぶつぶつのおたまじゃくしの羅列。
こんな曲……到底弾けるようにならない……と思う。今回こそ、完成しないままなのでは……


そう、思うのだけれど…
数ヶ月練習すれば弾けるようになる。
(弾けるレベルのものを選曲しているから当然だけれど)

数ヶ月後にあるコンクール。
現時点から見ると、ものすごく先のことで、自分が舞台に上がる日は永遠に来ないんじゃないかと思う……

思うんだけれど、本番は必ずやってくる。やってこなかったことは一度もない。

ピアノを通して、私は「続ける」と、何かしら成せることを経験的に学んだし、

「時は過ぎる」ということを体感した。

そう言う意味で。
ピアノは、「(ある程度は)為せば成る」を教えてくれたし、自分の力を信じてあげるきっかけとなった。
(自分が「できるようになったと、感じること」と、人から「できてるね、と評価されること」は別物だから…ここに、人からの評価は入ってない。入れない。)


すんごく前置きが長くなっちゃった!!!
つまりはピアノは、私の自己肯定感を高め、思春期の自分の心をささえたツールのひとつだったわけだけれど…

息子が習っているピアノに関しては…

「うまくいかない」
「ぜんっっぜん、上手にならないじゃん」
「このまま習わせてていいのかな?好きでも無さそうなのに…」

とモヤモヤしていた。
具体的に言うと…



年中さんになって、
息子が「ピアノを習う」と言ってくれたため、
嬉々として熱心にピアノ練習に付き添った

やったね!できてる!上手だね!
手の形、かっこいいね
いい姿勢だ!


あの手この手で褒めて、声かけて…

息子のピアノは一向に上達しなかった。

楽しそうでもなかった。
弾けるようになりたいと思っているようにも見えなかった。


こんな練習をしては?
こう弾いては?
ママが弾いてみようか?


息子にうざがられ
キレられた…


(ピアノ教室では、「息子さん、今日も集中力が切れがちで…」というようなフィードバックがお迎えのたびに続き、なんだかなぁ…もうピアノ辞めさせようかな…とモヤモヤ)

小学生になり、大手ピアノ教室から近所の個人レッスンの教室に変えた。


息子にあれやこれやいうのも、もうめんどくさくなって辞めた。練習に付き合うのも、アドバイスも辞めた。レッスンについて行くことも辞めた。

息子でわたしは「自己実現」をしようとしていたのか??息子はわたしじゃない。そんなの無理無理。

自分が同じピアノ教室にレッスンに行くことにした。

もう、息子のピアノ練習にアレやこれや言う心の余裕はなくなった。ピアノを弾ける隙を虎視眈々と狙う。夕飯あと、息子たちが「本日のYouTubeタイム」をとっている間の、貴重な15分に「いまだーー!!!!!」とばかりに練習。

夕飯作りながら、反田さんの「愛の夢:リスト」を聴く。


私は息子にピアノをさせることを楽しむのではなく…

私は私のピアノを楽しみだした。


私は私の人生を楽しみだした。


するとどうだろう??


毎日、ピアノの練習をするというのがなかなか習慣化しなかった息子が、いとも簡単に毎日ピアノの練習をするようになった。


流行りの音楽「新時代」を弾きたい!と先生に提案して、えらく楽しそうに練習し始めた。


なぁんだなんだ。

子育ては熱心にしないに限るなぁ!
私は私の人生を楽しめばいい。

ちなみに…
1年前も息子のピアノに関して、こんなこと書いてた…!

つい最近はこんなことも書いていた。

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