ゆるっと
光と闇。
ポジティブとネガティブ。
プラスとマイナス。
物事には陰と陽があります。
それのどちらがいいとはいえないけれど、闇よりは光。
ネガティブよりはポジティブがいいんじゃないかなと思ってしまうと思うんです。
マイナス思考になってたら「あぁ、ダメだダメだ。こんなマイナス感情になってしまう自分はまだまだだなぁ」なんて、自分にダメ出しして、自分の感情にフタをしてしまったり。
自分がプラス思考でいるのに、ダンナさんがマイナスな言葉を発すると「なんでそんなマイナスなこと言うの?運気が悪くなるじゃないの‼️」と、ダンナさんに対して嫌悪感を抱いて、無意識に自分が善でダンナさんが悪みたいに、優劣をつけてしまったり。
…はい。
これ、私です…。
うちのダンナは、めちゃくちゃマイナスな言葉を発するんです。
言ってほしくない言葉連発するんです。
ため息もめちゃくちゃつくし。
子どもに言ってはいけない言葉は、わざと?というくらい言うし。
イライラオーラ出しまくるし。
もう、その度に「なんなのこいつ💢言霊って言葉知らないの?そんなことするから、嫌な出来事ばかり起きるんだよ」と、イライラしちゃってました。
子どもにマイナスの言葉を浴びせたら、その言葉を剥がすためにプラスの言葉で、子どもに声かけしたり。
けれど、私が褒めたり、プラスの言葉を子どもに伝えても伝わらなかったり、子どものやる気がだだ下がりになると、今度はその態度に、私がイライラして、結局怒ってしまったり…。
つまり、私も根っこはダンナと同じ。
同じレベルということです。
どちらかがプラスだとどちらかがマイナスになる。
それでバランスを保っているらしいのです。
自分が頑張れば頑張るほど、相手は頑張らない。
自分が正しいと思えば思うほど、相手は自分が正しくないと思うことをやりやがる。
そういうものだそうです。
「ネガティブ思考より、プラス思考になってね」
「イライラして、私にとばっちりがくるなんて嫌」
結局、相手の言動に揺さぶられてしまってからのプラスの言葉は、本当の意味のプラスではないのかもしれない。
相手を変えたい思いからの言葉。
恐れからの言動。
それでは宇宙と繋がることなんて出来ないですよねぇ。
相手に伝わるはずもない。
たまに、ちょっとショックな出来事があり、それを友達に何気に話した時に、めちゃくちゃ励まして、めちゃくちゃプラスの言葉を伝えてくれる人がいる。
それはそれでありがたいんだけど『私』を見ての言葉を発しているのではなく、知っているプラスの言葉をただ羅列しているだけで、とにかく「元気になって」「そんなマイナスなこと言うあなたは本当のあなたじゃないわ」と、言っているように感じてしまう時には、申し訳ないけど、冷めてしまう。
『私』を見て励ましてくれている時には感じられないことを感じてしまうことがあるのです。
私ってば、ひねくれ者…。
ただね、ダンナもそう思っているのかもしれないなぁって。
そういう出来事を通じて思ったりもするわけです。
なので、そのように言ってくれた友達には、違う意味で感謝です。
「俺のこのリスクマネジメント、危険回避能力を否定するな」という思いもあるかもしれないわけです。
毎回転んで、膝から血が流れているのに、「プラス思考で、笑って歩いていきましょう❣️」
なんて、カルトだ。
それは、プラス思考とは言わない。
ただのアホだ。
転ばないように、転んだらどうしたらいいか。
それらを考えて前に進むことがプラス思考だと、私は思う。
その転ばない対策や転んだ時の対処法を考えているダンナに、私は『マイナス思考だなぁ』と、ダメ出ししていたのかもしれない。
昔、娘が1歳くらいの時のこと。
私が育児休暇も明けて職場復帰し始めた頃。
ダンナの祖父が亡くなったり、ちょいちょい娘も体調を崩していたため、仕事復帰して早々に、有給休暇がなくなりそうになっていた。
そんな時に、また娘が体調を崩して、小児科に行くとドクターから「今は免疫力が下がっているから、ここはひとまず、1週間保育所をお休みして体調整えましょう」と言われた。
その時のダンナは、自分が休んで1歳の娘の面倒をみるなんてことは、全くなかったので、私が1週間まるまる休まなくてはならなかった。
そんな状況の中、たまたま実家の母に電話をした時にその話をした。
休みを取らなきゃないんだと。
すると母は「えぇっ。それは、ラッキーだねー。いい先生に当たったじゃん。うんうん。良かった。良かった。」と、私の予想とは全く違う反応で返してきた。
「え?ラッキー?」と聞くと「うん。そうだよ。だって、それでバッチリ治そうって言ってくれるってことは、娘ちゃんにとって1番いいことじゃん」と言った。
私は、予想外のこの言葉に、すごくビックリしたけど、ものすごく救われた。
比べることではないし、いいとか悪いということではないけど、もしこのことをダンナのお母さんに言ったら「あら、それは大変だねぇ。私がそっちに行って面倒みようか?困ったねぇ」という言葉がきっとくる。
それは、ダンナのお母さんは、そういう優しさを持つ人だから。
大変だねぇと、寄り添ってくれて、自分に何か出来ることがあったらやってあげるよというスタンスのダンナ母。
だけど、きっとこの時の私にとって必要な言葉は、実家の母の言葉だったんだと思う。
言葉では言われなかったけど『仕事の代わりの人は他にもいるけど、娘の母の代わりはいないんだよ』ということをプラスの言葉で私に伝えてくれたように思う。
そう!
もしこの時「お母さんの代わりはいないんだよ」的な言葉を言われていたら「そんなんわかってるわ‼️」と、イラッとしたと思う。
私の代わりに娘の面倒を見てくれたら、私は娘より仕事が大事な人間になっていたかもしれない。
1週間休めと言ったドクターを恨んだかもしれない。
時が経ってから、このことを母に「あの時のあの言葉で救われたんだよ」と言ったら「え?そんなこと言った?けど、今聞いてもラッキーだと思うよ」言っていた。
そして「私を励まそうとして言った言葉じゃないんでしょ」と言うと「え?励ます?なんで?私は自分がラッキーと思ったからラッキーと言っただけだよ」と言った。
母とは確執があったり、色々気が合わない人なんだけど、こういうところは凄いなぁと、尊敬している。
ムリに人を励まそうとしたり、元気にさせようとするのではなく、心からのポジティブ発言は、人の心を動かす。
母からの言葉でそう思った出来事。
そんなことがあったのに、ついついダンナにプラス思考、プラス発言をして欲しいと思って、行動してきてしまった私。
自分がゆるっといくと、相手もゆるっといく。
まずは、自分をまるっとゆるっと善悪つけないでいくぞ。
最後までお読みいただきありがとうございます😊
ゆるっとな幸せをありがとうございます🥰
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