【短編小説】iWant you

 私はどうして生きているんだろう?
 誰のために?
 愛する旦那様のために?
 私は本当に旦那様を愛しているの?
 母の愛も知らない私がどうして人を愛しているの?
 愛してるってどういうことだろう。
 旦那様は、いつも「愛してる」といってくれるけど、本当に私を愛してくれているの?

 今日も、朝から旦那様のために朝食を作る。そのために、私は起きる。不思議なことに、毎日同じ時間に目覚める。玉子を冷蔵庫から取り出し、目玉焼きを焼く。毎日、毎日、同じことの繰り返し。まるでロボットのように。
旦那様が出勤すると、洗濯物を干す。窓は開閉しないから、洗濯物は専用のランドリー室に干す。だから、天気を気にすることもない。外の空気を吸いたいとは思わないが、窓から見える景色には興味がある。小さな人間が箱庭のような町を虫のように移動し、遠くにはスカイツリーが見える。
 二人で暮らすには広すぎるぐらいの3LDKの部屋を隅々まで掃除をした後は、ワイシャツにアイロンをかけたり、繕い物をしたりして過ごす。旦那様の靴を磨くことも忘れない。
 正午をまわっても、昼食はとらない。お腹はすかない。私にとって食事はただの儀式にすぎない。ひとりならば、食事をとる必要性は感じない。
世間の専業主婦は、友達どうしでランチへ出かけたりするらしいのだが、友達もいない。

 午後三時、二人分の夕食の材料がレシピ付きで届く。食材はすべて旦那様がネット注文する。私が外へ買い物に行くことはない。そもそも、この家に来てから一度も外へでたことはない。
 私には、好みというものがなく、洋服も旦那様から与えられたものを着る。
 今日届いた食材は中華だった。昨日は和食だったことを思い出す。メニューは旦那様が選択したコースにしたがって配達されてくる。年齢や体重、職業などによって必要な栄養が計算されたバランスのよい献立になっている。私はそれを、つくるだけ。まるでプログラムされたように。

 数百年前に大流行した伝染病は、人間の生活様式を180度変えた。いまの生活様式はそのとき確立された。人との接触をとことん排除した結果、スーパーはすべてネットスパーになった。コンビニエンスストアのような小規模な店舗だけはいたるところに出来たが、レジはセルフレジで、店員はいない。主婦がパートタイマーでレジ打ちの仕事をしていた時代ははるか遠い昔の話だ。人間がしていた仕事は、AI(人工知能)にとって代えられた。
 伝染病が、夜の仕事に就いている人の間で蔓延していたせいもあり、夜の接客業が敵視され、キャバクラやホストクラブからは客足が遠のき、廃業に追い込まれた。ソープランドなどの性風俗のお店は、表向きは完全になくなった。
 テレビ局はNHKだけとなった。伝染病の流行で混乱した世間の人々は、捏造された番組や人々の不安を煽るような番組に嫌気がさした。民放はセンセーショナルな報道で視聴者をだまし、低俗な番組を流し続けた結果、視聴者のテレビ離れがすすみ、ネット番組に統合された。大きなテレビ画面を家族で見る時代は終わった。チャンネル争いや録画という言葉は死語になった。
 人との距離を徹底的に保つことに慣れた世界は、ますます個人主義が進んだ。小さなタブレットを個人が持ち、好きな時に好きな番組を見る。そんな時代になっていた。

「愛子、ただいま」
「おかえりなさい、あなた。ご飯にする? お風呂にする?」
 お決まりの文句をいう。
 ご飯で、と旦那様がいったときはご飯、お風呂といったときはお風呂。
 ご飯で、と旦那様はいった。
「今日も、美味しいね、最高だよ」
「レシピ通り作りました、味付けもレシピ通りです」
「君の腕がたしかだから、おいしいんだよ。材料の切り方や加熱時間で味は変わってくる。君は料理の才能があるんだ。でないと困るよ」
 たわいもない話をする。
 夕食が終わるとお風呂だった。私は旦那様の着替えを用意する。
 お風呂に入ると、旦那様のすみずみまでボディーソープを使って洗う。髪もあらってあげる。それが、私の役目だ。
 お風呂から出たらそのまま旦那様のベッドへ行く。旦那様は私をやさしく愛撫する。自然と声が漏れる。私の中から何かが分泌され、こぼれんばかりに溢れ出る。はやる気持ちをおさえ、私は旦那様のお望み通りのことを何でもする。あの手この手で旦那様をよろこばせる。私は、旦那様を満足させる最高のテクニックを知っている。
「愛子、最高だよ」「愛してるよ」「かわいいね」「ありがとう」といつも旦那様はいう。けれども、私が旦那様のとなりで眠ろうとすると、必ず「ごめん、ひとりで眠りたいんだ、きみはきみのベッドでおやすみ」というのだ。

 私と旦那様の出会いは、とある大学病院だった。
 ベッドの上で目を覚ました時、初めに目に入ったのが旦那様だった。かなり広い病院の個室は、豪華な調度品が並んでいた。特別室らしかった。
 旦那様は、私が目覚めたことをとてもよろこんでいるように見えた。素敵な笑顔で私だけを見つめ、ほほえみかけた。私は、その瞳に吸い込まれるように、旦那様が好きになった。ひとめ惚れだった。
「歩ける?」と、旦那様は私の手をとった。私は生まれたての馬のように立ち上がった。始めはぎくしゃくしたけれど、すぐ歩けるようになった。
 旦那様は私の主治医だった。「部長」と呼ばれているところをみると、病院内ではかなり地位の高い人らしかった。
 そのときより前の記憶は、なにもなかった。自分の名前さえもわからず、なにもかもわからなかった。旦那様がいうには、記憶喪失らしい。
「無理して思い出さなくてもいいんだよ」と旦那様はやさしくいった。
「ぼくの家でいっしょに暮らそう」
 そういわれて、とてもうれしかったのを覚えている。この人とずっといっしょにいたい、この人のために生きたいと思った。
 私は、旦那様から愛子という名前を授けられた。
 私が持っていなかったのは過去だけではなかった。洋服やバッグさえ持っていなかった。私の過去を探す手掛かりになるはずなのに、どうしてないのかわからない。それらがなかったことを疑問に思い始めたのは最近だ。
 退院したのは私が目覚めた次の日だった。病院着から旦那様が用意した服に着替え、旦那様の車で、旦那様が住むタワーマンションに向かった。最上階だった。
 そのときから、私はずっとこのタワーマンションの一室にいる。スマートフォンだけが外の世界とつながるもの。といっても、友達もいない私は、外へ行く用事もない。いまだに戻らない記憶のせいで、安否を心配するような高齢の父や母もいない。記憶のかけらさえ見つけることもできない。時間ができたらネット番組でニュースやドラマを見たりしている。使用が制限されているタブレットで。
 どうして、私は旦那様の希望通りになんでもできるのに、自分の名前さえ思い出せないの? 家事は完璧にできるのに……。私は、何者なの?

 私は、自分のことを漠然と旦那様の妻だと思っていた。違うのかもしれないと最近気づいた。いっしょに暮らし始めて二年になるが、婚姻届けを出した記憶はない。旦那様の親戚にも会わせてもらってもいない。
 私はただのお手伝いさんなの? だから旦那様は私にメイド服のコスプレをさせるの?
 でも、旦那様は私を愛してくれているし、私も旦那様を愛している。どうして、私は旦那様を愛しているの? わからないけど、初めて会った時からとてつもなく愛してしまったの。なぜなの? 私は誰なの? どこからきたの? なぜ旦那様はなにも教えてくれないの? 旦那様が、私の過去に興味がないのはなぜ? どうして私は存在するの?
 わからない、わからない。頭がショートしそう。
 体がとっても熱い。
 私はスマートフォンを手にして、旦那様にメールを送った。

――なんだか熱があるみたい。体が熱いの。私って、あなたの妻なの? 私って誰なの?

 大学病院で部長とよばれている医者の男はスマートフォンを取り出し、愛子からのメールを見た。そして、あるアプリをたちあげた。メーターが伸びたり縮んだりせわしなく動いている。暴走してるな、と男は思った。そしてある操作を行った。
 しばらくすると、愛子は動かなくなった。

 医者の男は、ある会社のお客様センターに電話していた。
――二年前に購入した「iWant(アイウォン)」の調子がおかしいみたいなんです。下取りして新しい「iWant2(アイウォン トゥー)」を購入したいのですが、できますか?
――ああ、はい半額の1500万円で下取り? はい、大丈夫です。カード一括払いで結構です。
――カラーですか? カラーは日本人の色白タイプで。
――「iWant」のデータを引き継ぐかどうかですか? そうですね、今度はもう少し年が近いものにしたいので引継ぎは、なしでお願いします。

 今の「iWant」は、見た目が若すぎて、結局一度も外へ出すことはしなかった。巨乳タイプを選んだのは、夜の生活を楽しむためにはよかったが、パートナーとしてデートを楽しむには、適していなかった。この年齢で、巨乳の美少女を連れて出歩くことは誤解を招く、と男は思ったのだ。

――充電器? まだ使えそうですが……。急速充電タイプ? 3時間ですか、約半分の時間で? それで40時間? ああ、じゃあそちらにします、ベッドタイプで。マットレス? マットレスは……交換お願いします。新しいパートナーには新しい布団を用意してあげたいからね。次も、オプションで家事と性生活のスペシャルバージョンをプレインストールでお願いします。
――妻設定? そんなのができたんですか? 家事と性生活と妻設定、三つで割引? じゃあ、それでお願いします。なら配送場所は、今度は自宅でお願いします。
――はい、わかりました。「iWant2」の配送時に、「iWant」の引き取りですね。はい、リセットボタン押しておきます。
――はい、初めて電源を入れるときですね、注意しなければならないのは。最初に目に入った人物を愛するようになっているのですよね、デフォルトで。承知しております。

          ※

 二年後。
「ねえ、あなた、そろそろ私、子どもが欲しいの。私たち、結婚して10年たつのに、子どもがいないじゃない。今年、私も40だし、あなたも50じゃない? 最期のチャンスだと思うの。いっしょに産婦人科に行ってくれないかしら。」優はいった。
 男は、「iWant2」を優(ゆう)と名付けていた。
――困ったな、今度の「iWant」も自分を人間と思っているようだ。
「あなた、プロポーズのときにサッカーチームができるくらいの家族を作ろうっていってくれたじゃない?」
――おいおい。そんな設定になっていたのか?
「考えさせてくれ」医者の男はいった。

 今度の「iWant」も学習機能により、二年間で人間のような感情を持つまで進化してしまった。
 よい縁に恵まれず、婚期を逃してしまった男はいつしか結婚なんてめんどくさいものと思っていた。そんなとき新発売された「iWant」を購入したのだった。初代「iWant(アイウォン)」は二年で故障した。今度の「iWant2」もそろそろ壊れるかもしれない。子どもが欲しいなんて言い出した。本当は妻ではないことに気づくかもしれない。男はめんどくさいことが大嫌いだ。
—―そろそろ、潮時か。
 しかし、男は優を愛していた。とびきりの美人だし、料理は上手い。なにより自分を愛してくれている。男の好みに合わせた設定になっているので当然だった。学習機能により、ますます人間らしくなった。
 夫婦として暮らした二年間。外へ連れ出して、デートも重ねた。わずらわしい恋愛の駆け引きを必要とせず、最高のパートナーを金で買ったのだ。欲しかったフェラーリの新型を買わずに。
 自分好みにカスタマイズされたアンドロイドだとわかっていても、男は優を愛してしまっていた。本当に籍をいれてもいいのではないか。そんな気になっていた。
 同性パートナーだけでなく、アンドロイドとの結婚も認められる世の中だ。
 男にとって優との生活は、初めは夫婦ごっこだったが、「iWant2」の設定により、優ははじめから自身のことを男の妻だと思っている。電源を入れたときから、結婚して八年の夫婦という記憶がインプットされていた。

 かつて、数百年ほど前は、自然分娩以外では病院内での人工子宮でしか胎児を育てることしかできなかったが、「iWant2」の新機能で、後付けの子宮機能を搭載すれば、人間の妊婦同様に妊娠期間を過ごし、出産することが可能だ。
 昔は試験管ベイビーと揶揄された人工子宮で育った子どもだが、今は人工子宮で育った子どもが過半数を占めている。
病院内の人工子宮での子育ては高齢出産の危険を回避することができるだけでなく、未婚のシングルでも子どもを持つことができるので、少子化対策に大いに寄与していた。
 卵子を購入し、病院内で自身の精子と受精させ、受精が成功したら、優の人工子宮に着床させる。そうすれば、優に子どもをもたせてやることができる。
 まず、優に人工子宮をつけてやらなければ。そのためには、工場に一週間ほど入院させなければならない。工場は男が勤める大学病院のなかにあり、特別棟という名前がついているが、医者のあいだでは、アンドロイド病棟と呼ばれている。
 優は知っているのだろうか? 自分がアンドロイドだということを。
アンドロイドだと知ってショックを受けやしないか。それが引き金になり故障しないだろうか。それが心配だった。男にとって優は、もう手放せないものになっていたからだ。
 そして、アンドロイドとの結婚。法律で認められたとはいえ、まだ少数派だ。
 その昔、同性婚が法律で認められたときと同じぐらい、アンドロイドとの結婚は実例が少なく、マイノリティだ。
 子どもを持つなら、夫婦として籍を入れたほうがよいだろう。親や親せきに認められるだろうか。それも心配だった。

――いっそ、優が故障でもすれば買い替えるのに。

男のポケットの中でスマートフォンが震えた。画面を見るとメールがきていた。
それを一瞥すると、あるアプリを立ち上げて、優の動作状況を確認した。

男が受信したメールの内容はこうだった。
「iWant3(アイウォン スリー)」新発売! いまなら「iWant2」を半額下取り!

「ただいま、優」
「おかえりなさい、あなた」
「元気そうだね、これなら出産も安心だ。来週うちの病院の産婦人科を予約したよ。ふたりの子どもを作ろう。その前に一週間の検査入院だ」
 男は優を抱き寄せた。
「愛しているよ」
 男の指が優のさらさらの髪にふれ、つむじから後頭部へとなでるようにおりていった。その指先が、髪に隠れた首筋のリセットボタンに触れた。

          ※

 二年後。
「ただいま、優」
「おかえりなさい、あなた」
「体調はどうだい?」
「まあまあよ」
 最近、優の体調はすぐれなかった。
「あなた、話があるの」
「なんだい?」
「私たち、結婚して十年になるじゃない? 私も今年、40だし、あなたは52。そろそろ子どもが欲しいの。どうかしら?」
「そうだね、じゃあ、明日産婦人科の予約をいれておくよ。」
 男は軽く答えたが、デジャブを感じていた。今日は優との最後の夜になるかもしれない。

 あ……んっ、あんっ、あんっ、あああっ……、いいっ、あんっ、もっと、ああっ……
 いつもより激しい夜を過ごしたふたり。
「今日はすごかったわ。疲れちゃった。ここで寝ていい?」
「いいよ」
「いいの? うれしい。あなたと寝るの久しぶりだから……」
 最近は、優の充電も十時間もたなくなった。優専用のベッドで寝なければ、優は充電されず、明日の朝は目覚めることはないだろう。
 愛子から優に乗り換えて四年。
 二年前、優が「子どもが欲しい」と言い出したとき、リセットボタンを押して初期化し、出荷状態にもどした。四年使用したアンドロイドはがたがきていた。皮膚の破れなどの軽微な不具合は男の勤める病院で治すことが出来たが、治して使うにはもう限界がきていた。
「iWant2」はもう手に入らない。中古もあるらしいが、ほかの男に抱かれていたものを使う気にはなれない。優は男の好みに合わせてカスタマイズされているので、まったく同じものは手に入らないだろう。胸の大きさだけでなく、乳首の色や乳輪の大きさ、秘部の色や締まり具合まで男の好みに合わせて作ったのだ。
「iWant3」を購入してデータを引き継ぐことはできるが、別の体になってしまう。しかも、「iWant3」の熟女タイプはカスタマイズ項目が限られていて、優と全く同じにすることができない。「iWant3」に優のデータを引き継いだとして、ある日突然体が変化していたら、優はおどろくだろうか。優は自身がアンドロイドだということを知っているのだろうか……。

――私は優が欲しいんだ。youが……。君を愛している。


「優、愛してるよ」男は優の耳元でささやいたが、男の腕の中で優はもう動かない。
 男は、そっと腕枕になっていた自分の腕をぬくと、ベッドからおりた。
そして、お姫様抱っこで優を抱き上げると、別室の優のベッドに運んだ。そのベッドは「iWant2」の充電器を兼ねている。

          ※


 二年後。
「おはよう、あなた。朝ごはん、できてるわよ」
「ありがとう、優」
 こぼれそうなほどにたわわに実った胸の谷間が、エプロンからのぞいている。白と水色を基調としたフリルがついたエプロンはメイド服を想像させるデザインだ。白い足、白い腕、きゅっとあがったお尻。一瞬、裸エプロンに見えるが、Tバックのパンティーをちゃんとはいている。


「どうせ生まれ変わるなら、若くなりたい」二年前、優はいった。男は、優がアンドロイドであること、このままでは子どもを産むことはできないことを告白した。優は、うすうす気付いていたらしい。「子どもが欲しい」といったのも、自分がアンドロイドなのか人間なのかわからなくなって、確かめようとしたのだった。
 ふたりで「iWant3」の購入を決め、優のデータはふたりの思い出とともに引き継がれた。

「ところであなた。『iWant4』が新発売されるらしいわよ。」
「欲しいのかい?」
「将来的にはね」
――まいったな。と男は思ったが、まんざらでもなさそうだった。




#創作大賞2022

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