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玄米食パン🍞と大豆ミート🍗と

今日のお昼、玄米食パンを食べたんですけど、

それって、パン食べたかったのか玄米食べたかったのか絶妙なところですよね。

まあシチューを作ったのでそれに合わせるパンが食べたかったんですけど、玄米ってGI値が、低いからそれを選んだんです。

それ気にするなら玄米にしたらいいじゃん

いやパンは食べたいんだよね〜

いろんな場面で私の中の天使と悪魔みたいな形でよく2人登場します。

物事を対立する二点から考える癖があって、葛藤のようなものにはよく悩まされます😂

それはおいておいて、

玄米食パンがある時代に生まれてよかったな〜って思いました。だって、玄米の栄養価で、パンとしての機能をはたせる食品を必要としていたのですから。

ここで思いました。

私は健康に良いと思っているから(ほぼ信仰に近いかもしれませんが)、玄米を選び、

食を楽しみたいから、パンを選んでいるのです。

そもそも、健康に良いと決めたのは誰で、健康に良いとは何か、食を楽しむということがシチューにぴったりの主食を選ぶということならば誰がそれをパンだと決めたのか。

慣習?伝統?広告?

私が自由に選択していると思っていたものは誰かに誘導されたものだったのかもしれませんね笑

まあ、食べている本人が、罪悪感なく美味しくいただけるならそれで十分だと思いますが(またもう1人の私が現れました)

こんなことを考えていたら、最近興味のある大豆ミートを思い出したんです。

そういえば玄米食パンも大豆ミートもそのジャンルの中で反対とも言えるような名詞を並べて作った単語ですよね。

他の言葉に喩えたかったのですが、思いついたのは睡眠学習…。なんか違う…。

とにかく、大豆ミートって、お肉は食べないが本当は食べたい人向けに作られた商品のように感じますよね。

そんなこんなで社会学の授業で、日本の食文化の歴史について、まずは見ていたのですが、

精進料理という料理様式が生まれた頃、禅宗の影響で肉食は忌み嫌われていました。

そこに、唐代に伝えられた水車の力を使って、大豆粉を用いた料理を作り、質感は肉を意識して食べていたそう。

もしかして僧侶の方もお肉食べたかったのかな〜なんて考えながら、何千年も前から、大豆ミートの概念はあったのだろうと考えました。

僧侶の方々で料理人は調菜人と呼ばれていたそう。
おすすめの食べ方聞いてみたいです。

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