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18日~生前に成したことを語ろう

先月父が亡くなり、新年になってもいろんな手続きやらに追われ、目まぐるしい日々が続く。
極寒の北国の一軒家に母一人置いておけず、先日私の自宅へ連れて戻ってきた。今後どうするかは追々考えていくが、北国の寒さが和らぐまで、母の心の痛手がある程度癒えるまでは、温かいこちらでのんびり過ごして欲しいと思っている。

母は、日に日に寂しさ、悔しさが増してきているようで、ことあるごとに
「あんなに元気だった人がどうして・・・」
「去年の今頃はこんなに元気だったのに・・・」
「あの時、もう一度抗がん剤治療をしていれば・・・」
と嘆いている。無理もない。50年以上連れ添った片腕がいなくなったのだから。

私は、といえば、意外にも父の死をすんなりと受け入れている自分に驚く。

日本人男性の平均寿命より5年ほど短かったものの、父の一生はとても濃いものだったと思うからだ。
3度目の抗がん剤治療をしない、残る時間は短くなっても家族と過ごしたいと決めたのも父自身であった。
私達家族は父の希望に沿うように、できる限り在宅療養をサポートし、遠方から弟も駆けつけ最期の時を親子4人で過ごし、父を見送った。

父の死後、弔問に訪れてくださった方々から、
「悔しいねえ」「まだまだ活躍するはずの人だったのに」「惜しい人を亡くした」などなど父を惜しむお言葉をいただき、ありがたい限りなのだけれど、私の心には少しの違和感があった。

おそらく、春馬くんがいなくなった日から、「生」と「死」について考え尽くした結果、私の中に「生」と「死」の境界線が曖昧になったのだろう。「死」しても尚、たくさんの人たちの心の中に生きる春馬くんを実感して、春馬くんの魂はまだまだ続いていくと思えたから。
もしかしたら、春馬くんを失ったことにしたくなくて、その境界線を曖昧にしたい、ということなのかもしれない。
また、春馬くんの一件から1年以上もの間繰り返し繰り返し、私は「死」そのものに着目することより生前に成したことを讃えようという思考回路を構築していったのだと思う。

そして、春馬くんの件で経験したこと。
春馬くんが成したことをいろんな方達が讃えてくださっているのに触れることが、残された人たちの傷を癒すということ。
私は、このnoteの皆さんの記事に癒された。
たくさんの映画やドラマ、舞台についての春馬くん評に癒された。
共演者、スタッフの皆さんの春馬くんエピソードに癒された。
そして、今年に入ってから地上波で放送された作品たちを見て初めて春馬くんの魅力に気づき驚いている方達の呟きに癒された。

そうか。
私、母と、父のことをもっと語ろう。
いろんな思い出を語ろう。讃えるだけでなく、きっとちょっと悪口も入ってしまうけど。
父の友人が訪ねて来たら、父との思い出を聞き出そう。
それを母に聞かせよう。

これも、春馬くんがくれた気づきなのかなと思う。






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