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気持ちの変化その後

春馬くんがいなくなって、もうすぐ半年が経とうとしている。

私はといえば、もう50年ほど生きてきて折り返し地点は過ぎている。いろんな経験もしてきた。それなのに、あの日から、経験したことのないほどの動揺をし、まだまだ落ちてしまう日がある。けれど、それでも前向きに生きていきたいと思っている。

春馬くんがいなくなってすぐは、周りに春馬くんの話をする人もいっぱいいて、「残念だったね」とか「どうしてかな」とか言っていた。でも、次第にみな、その状況から卒業し普通に生活を送っているように見える。

私には、ソウルメイトと思っている親友がいる。人生の半分以上、いいときも悪い時も支え合ってきたとお互い自負している。できる限り、相手の気持ちを理解し共感しようと思っている。なので、その親友には春馬くんの話をする。でも、さすがに同じように共感はできないようで、「長いよね。どうしてそこまで引きずっているんだろうね」と不思議がる。私も、不思議でしょうがない。どうしてなんだろう・・・

数か月前、春馬くんを探してネットをさまよううちにnoteのある記事にたどり着いた。垣 公華子さんのシリーズ記事。垣さんご本人にご了承いただき、転載させていただく。

うんうん!うんうん!と、頷き泣きながら読んだ。私と同じような人がいることに救われた。素晴らしい分析をわかりやすい文章で表してくださって少しだけ辛さの理由と出口の方角が見えた気がする。(垣さん、ありがとうございます!)

『陽はまた昇る』というドラマで、拳銃の訓練の時に春馬くん演じる宮田くんが、池松壮亮くん演じる射撃の名手の湯原君にこう言う。「拳銃のことを教えてくれ。わからないから怖いんだ。」

そうか、自分がどうしてこうなっているのかわからないから辛いのかもしれない。noteは、リアルな私を誰も知らない場所であるからこそ、かっこつけないで本音を吐き出せる場所。このあたりで、垣さんを真似て、垣さんほど上手にはできそうにないけど、その気持ちを分析してみたいと思う。客観的に冷静に純粋に春馬くんを応援できるようになるために。

分析スタート~まずは経緯から

あの日まで、私の日常に「三浦春馬」という俳優はそれほど関係していなかった。それなのに、春馬くんがいなくなったあの夏の日から、始まってしまった。

まずは、春馬くんに急速に魅了された。恋煩いのように。
春馬くんをどんどん好きになり、もう春馬くんのことしか考えられなくなった。

そして、だんだん私生活に支障をきたす程辛くなってきた。それでも、春馬くんを追うことはやめられなかった。気づけば、半年足らずで、私は春馬くんの作品見られるだけ見てしまった。もはや中毒。

Youtubeを駆使して過去に出演したインタビュー映像やバラエティ番組や舞台挨拶も片っ端から見た。インタビュー記事や誰かの発信した春馬くん評なども片っ端から見た。どんどん、どんどん、春馬くんにはまっていった。何を見ても何を聞いても、春馬くんにしか結び付けられなくなる。辛くて悲しくて毎日泣いていた。年の瀬には、ネガティブな思いを吐き出すという有様。日によって、前向きに考えられるときもあれば、ちょっとしたきっかけで悲しみの渦に飲み込まれる。

「三浦春馬」を分析してみる

あくまでも私にとっての「三浦春馬」を分析してみる。過去記事にも述べたように、あの日以来私の春馬くんに対する印象はどんどん変わってきている。

<あの日以前>
超イケメン俳優。かっこよくて自信満々で少し傲慢な俺様イケメンなのだろう。
              ↓
<数々の作品鑑賞途中>
イケメン役だけじゃなくて、苦悩する役、面白い役、情けない役もできるの!?しかも、役によって全く違う人じゃない!?
              ↓
<バラエティ、舞台挨拶、インタビュー等数々の動画を見た後>
素は、こんなに可愛い人だったの!?しかも謙虚、めっちゃ真面目。
              ↓
<春馬くんを実際に知る人から発信される情報を見た後>
誰にでも分け隔てなくてこんなに優しくて、どこからも嫌な話出てこないじゃん!ルックスだけじゃなく人間的にもなんてすばらしい人なの!?
              ↓
<舞台(映像)を見た後>
めちゃくちゃかっこいいじゃん!!この存在感、オーラ、滑舌の良さ、歌のうまさ、身体能力の高さ!もしかして、春馬くん、舞台の人!?
              ↓
<『Kinky Boots Haruma Miura Tribute movie』を見た後>
世界の一流の人たちにもこんなに称賛されるスター性、向上心、一生懸命さって!?しかも、こんなに優しさや謙虚さを讃えるられる人、いる!?

こうやって書いていくと、もう仕方がない、という感じしかない。こんな人、はまるべくしてはまってしまう。まさに、出会ってしまった、としか言いようがない。

自分の性格を分析してみる

子供のころから感受性の強さに困っていた。
感動しいで涙もろい。喜怒哀楽が激しい(怒はそれほどでもないが)。すぐにひとの気持ちに乗っかってしまうので、自分のことじゃなくても辛くなってしまう。割と単純、素直。吹っ切れると大胆な行動もできてしまうが、基本的に気が小さいので「ノー」というのが苦手。垣さんの記事にもあったHSPの人にあてはまること多し。母性本能が強い。気は強くない。どちらかというと割と気弱な方かと思う。

自分の経験を分析してみる

育ってきた家庭で家族仲は良かったと思う。でも、ずっと絶えず父親の傘下にいる思いがある。ずっと父の想いに答えなければ認められないと思っていたような気がする。そんな父に反発もしながら、ついつい父の思うような娘でいてしまうところがある。

実は、高校時代に付き合ったひとが、別れて5年後くらいに自ら命を絶ってしまった、という経験がある。その人は、いかつい見た目とは真逆の優しい人だった。稼業をつぐために自分には向かない進路を選ばなければならず、なかなかそれがうまくいかず苦労していたようだったと聞く。高校卒業してから一度も会ったことがなかったからなのか、彼の訃報を聞いた後ショックを受けこそすれど、そんなに引きずることもなかった。今考えても胸が痛むということはなく、割とすぐに客観的な事実としてすんなり受け入れている。

実は春馬くんは、背格好など前夫(実はバツイチなのである)にイメージが似ている(顔はあんな完璧ではないが)。私の遺伝子に刷り込まれた原始的な本能として、春馬くんのようなルックスがドンピシャ好みなのだろうと思う。私の偏ったイケメンイメージは、そのひとのイメージなのかもしれない。その後、友達関係だった現夫と結婚し子供は二人。春馬くんがいなくなったあの日まで、ほとんど子供中心の生活しかしてこなかった。いつでも自分のことはさておき、常に子供のことを気にかけていた。常に、子供たちがよければ、の私だった。

分析まとめ

書いていくうちに少しずつ見えてきたような気がする。

春馬くんは、私の遺伝子に刷り込まれた原始的な本能としてまさに最高の好みであり、それなのに俺様キャラではなく、謙虚、真面目で優しく、何事にも一生懸命で、かつたくさんのことを実現してきた、私にとって完璧な人なのだ。

そんな春馬くんの素晴らしい姿を、もっともっと見たかったという無念さが絶望を連れてくるのだ。本当にもったいないし、本当に悔しいと。

そして最大の辛さは、あんなにキラキラして、あんなに未来を語って、世界に羽ばたこうと切望していた人が、あんなに死から対極にいるような人が、自ら命を絶ってしまったという事実が受け入れられないのだ。

どんな理由が?なにがあった?その答えを、半年経とうとしている今も脳がぐるぐる探して止まないのだ。どうしたってパズルが合わないのだ。脳は、疑問が生じるとその解を求めて、いつまでも無意識に探し回る性質を持っているらしい。その性質のせいで、私の脳はいつまでも「どうして?」「どうして?」を探し回る。

でも‥本当の理由はわからないし、わかりっこないのだ。
そして、勝手な憶測は春馬くんに失礼だということも知っているし、春馬くんが知られたくないことを嗅ぎまわるのも春馬くんの本意ではないこともわかっている。

私は、自分のパズルを合わせたいという気持ちよりも春馬くんの尊厳を尊重したいと思っている。春馬くんは、どんなに身近に感じたとしても、やはり手の届かないスターなのだ。だとすると、春馬くんのただの一ファンである私は、この「どうして?」については自分の納得する落としどころを決めるしかないのだ。

断っておくが、私は信仰する宗教は持ちあわせていない。実家には仏壇があり帰ると手を合わせるし、正月には神社へ初詣もする。クリスマスにはクリスマスツリーを飾ってチキンとケーキを食べるし、時々ヨガもやる。

無宗教である私の決めた落としどころ。現実的でないとしても、宗教がかっていると言われようとも。

春馬くんは、生まれる時にシナリオを書いてきた。

小さいうちから役者として世に出て、素晴らしい作品に出演し、美しい笑顔と容姿と演技で多くの人を魅了し、光として多くのひとを支える。そして、生まれるときに決めてきたミッションを終えたから、静かに天に帰っていったのだ。まだまだきらめく春馬くんを見たかった、と思ってしまうが、春馬くんのこれまでやってのけたことは、30年とはいえ普通の人の数倍に値する濃さではないか。

では、そのミッションとはなんだったのか?

もしかしたら、『キンキーブーツ』の6つのステップを広めるために。

もしかしたら、『天外者』の五代友厚の功績を広めるために。

それとも、日本文化・伝統・歴史・産業…など、未来へ向けて残し伝えたい〈日本製〉を世界へ発信するために。

・・・・・・

それが何であるのか、まだ私にはわからない。それは、これから探していこうと思う。でも、落としどころをここに決めたことで、少なくとも私の脳の探し物は、これから「どうして自らいなくなってしまったの?」のではなく、「春馬くんの今世のミッションはなんだったの?」にとって代わる。そして、それは、少なくとも辛く悲しい気持ちは伴わず、春馬くんの今世での素晴らしい功績を探すワクワクした旅になる。

一部では、事務所の不適切な対応などを追及する動きがあることも知っている。そんな方から見たら、不謹慎だと思われるかもしれない。でも、私は春馬くんを想う時、その想いが辛く悲しいものよりも、幸せで温かいものの方がいいのではと思うのだ。その方が春馬くんが喜んでくれて、魂がやさしさに溢れると思うのだ。だから、私はこのやり方で想う。その想いは、あたたかい光の塊となって天上の春馬くんへ届くと思うから。

今世のミッションを終えたから天に帰っていった春馬くん。私には『Laughter』の歌にのって天に昇っていく春馬くんが見えるような気がする。

翼は動きますか?本当に飛べますか?
YesもNoも言わずに 真っすぐに空を見てた
鳥の名前はLaughter ケージを壊した
YesでもNoでもでなくて 飛びたいとはしゃいでる声だけで
膝を抱えた昨日までの自分を乗り越えたLaughter
今日も歌い続けた
自分自身に勝利を告げるための歌

また、次の世のシナリオを抱えて、春馬くんはきっと生まれ変わってくる。春馬くんだとわかるように、あごのほくろを忘れないで。


いただいたサポートは三浦春馬くんの作品鑑賞や媒体購入に充てさせていただき、更なる春馬くんへの愛につなげたいと思います。