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なぜかハワイにいる2024(その3)〜歴史の目撃者、イオラ二宮殿を訪れる

(承前)

ホノルル美術館の展示を見て、改めてハワイはかつて独立王国だったことを思い出した。有名な王様は、カメハメハ大王である。それでは、なぜハワイ王国がアメリカ合衆国の50番目の州になったのか。

そのことが多少は分かるのではと、公共バスに乗って、ホノルル美術館からイオラ二宮殿に向かった。

イオラニ宮殿の地下展示所に、ハワイの年表が掲げられている。宮殿そばに銅像が立っているが、これはカメハメハ1世、彼が大王と呼ばれる。当時、ハワイは3つの王国に分かれていたが、1795年カメハメハ大王が統一、イギリスが背後から援助した。1819年、息子のカメハメハ2世が即位、この頃からキリスト教宣教師ら、西洋の影響が顕著になる。2世はイギリスに視察に行くのだが、現地で客死してしまう。

カメハメハ王朝は1872年のカメハメハ5世逝去まで続き、その間イギリスによる一時領有を経て、独立国家として承認される。5世は後継者指名を行わず亡くなったため、国王選挙が実施され、ルナリオ王による1年強の治世を経て、1874年カラカウア王が王位につく。

カラカウア王は、カメハメハ3世が公邸を建設した場所に、公邸兼迎賓館としてイオラニ宮殿の建築を決定、1879年に工事が始まり1882年に完成する。この宮殿は公開されていて、オーディオ・ガイド付きのツアー(日本語あり)で見学することができる。

当時の最新鋭の技術(電灯、電話など)を導入した宮殿を見ると、カラカウア王が積極的に西洋の文化・テクノロジーを取り入れようとしたことが分かる。イギリスの貴族の邸宅、マナーハウスと似ているような印象もあり、上記の通り、イギリスからの影響が伺い知れる。地下展示室には、イギリス王室の衛兵に似た“Royal Guard“という部隊があることも展示されていた。ハワイ州の国旗には、ユニオンジャックがあしらわれているが、これも英国連邦とのつながりを表しているようだ。

一方で、カラカウア王はアメリカとの関係を強化、経済的に密接につながると共に、ハワイに住む白人勢力が強力になる。そして1887年、王権を弱体化させ、白人の権利拡大につながる新憲法の成立に至る。

そして、イオラニ宮殿はハワイ王国の終焉を演出することになる。

1891年、カラカウア王はサンフランシスコで客死、妹のリリウオカラニが即位する。王制派と共に、王権を回復しようと、新憲法樹立を目指すが、国家反逆の疑いありとしてリリウオカラニ女王は、イオラニ宮殿の一室に幽閉されてしまう。現在、その部屋には彼女が侍女らと作り上げた、大型のキルト作品が展示されている。

その後、アメリカ主導のハワイ王国転覆計画により、1893年ハワイ王国はハワイ共和国となる。そして、リリウオカラニは、王政派の命と引き換えに、1895年廃位の署名をさせられる。

リリウオカラニは、音楽の素養があり、「アロハ・オエ〜我が愛をあなたに」は、彼女が作った曲である。

なお、ハワイ州観光局のページにはこう書かれている。
<西洋の影響は引き続き拡大していき、ついに1893年、ハワイの経済をほぼ支配していた米国からの入植者が、ハワイ王国支持者であるハワイアンと対立しながらも、王国を平和的なクーデターで転覆。1898年、ハワイは米国の属領となりました。>

イオニア宮殿はこうしたハワイの歴史の目撃者である。

なお、1993年クリントン大統領が「謝罪法案」に署名、アメリカは公式にハワイ侵略を認め、ハワイ先住民に謝罪した



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