見出し画像

「師匠 御乱心!」と六代目圓楽〜三遊亭円丈の叫びの先に(その1)

1978年、落語協会分裂騒動というものが起きた。その頃は、東京の落語界にはうとかったので、リアルタイムでは知らない。

その後、様々な書物で本件の経緯について、大まかなところを把握した。当時、落語協会の会長は、先代の柳家小さん。前会長、三遊亭圓生は協会の最高顧問の位置にあった。当時の落語協会においては、前座・二つ目・真打とある階級の中で、二つ目の落語家が多くいた。この状況を解消し、長く頑張っている落語家を真打に昇進させようと、小さんは多くの二つ目を真打にしようとした。

真打には、真に芸のある者のみを昇進させるべきという考え方の圓生は、小さんに反旗を翻し、当時の人気噺家、直弟子の先代圓楽立川談志古今亭志ん朝月の屋円鏡らを引き連れ、落語協会を出て、新協会を設立しようとした。ところが、この動きは空中分解、寄席の席亭の合意を得ることもできず(新宿末廣亭を中心とした席亭の力は絶大だった)、圓生一門以外は協会に残ることとなった。結果、圓生、圓楽一門は寄席から締め出される。

この一件については、三遊亭円丈が書いた「師匠 御乱心!」を読めというのが定説である。しかし、私は他の本で読んで知っているつもりだったので、この本を読まなかった。三遊亭円丈という人は、新作落語のパイオニア的存在だが、新作落語があまり好きではなかったことも、理由の一つである。

その三遊亭円丈も昨年他界した。そしてこの分裂騒ぎにおいて、先代と行動を共にした六代目圓楽(当時は楽太郎)も鬼籍に入った。それらをきっかけに、「師匠 御乱心!」が再び気になり読んでみた。

もっと早く読んでおけばよかった。円丈の心の叫びとしてのドキュメンタリーであり、彼の心持ちが伝わってくる。同時に、新作落語家としての技量が、優れたエンターテイメント読み物として成立させている。

そこに描かれるのは、落語家の師弟の複雑な関係、芸人の性(さが)、個性の衝突などなど。「芸が未熟なものを真打にすべきではない」という、圓生の主張は真っ当である。しかし、真っ当な考え方だけでは世の中は成立しないとするのも落語の世界である。芸に固執した結果孤立し、その状況を芸の力で跳ね返そうとする名人三遊亭圓生。

この本の主人公はもちろん円丈であり、彼の苦難を読み手は共感するのだが、圓生という芸人の生きざまも印象的だった。

多少なりとも、落語にご興味のある方は、是非一読をお勧めする。

読みながら、私は圓生の孫弟子、六代目圓楽の行動を思い返した。この続きは、また明日



この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?