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村上春樹の「ノルウェイの森」を再訪する(その2)〜“100パーセント・リアリズムへの挑戦“

(承前)

1991年に出版された、講談社「村上春樹全作品1979ー1989」第六巻には、“100パーセント・リアリズムへの挑戦“とした、「ノルウェイの森」に関する村上自身の解題「自作を語る」が挟み込まれている。

僕は六十二歳の今、二十代で初めて読んだ「ノルウェイの森」を再読し、前回その感想を書いた。その後にこの文「自作を語る」を読んだわけだが、非常に面白かった。

1985年に「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を上梓してから二年間、村上は<長編小説を書こうというような気にはなれなかった。理由はいつもと同じで、へとへとに疲れ果ててしまったからだ>(上記「自作を語る」より、以下同)。

そして彼は短編小説・翻訳・エッセイを手がけている。安西水丸との共著「日出る国の工場」(1987年平凡社)では、日本全国の工場を見学、<文学的「農閑期」には、体を動かす仕事をするととても楽しい>と書いている。

一方で、<僕はこの頃から少しずつ苛立ちを募らせるようになった>。「世界の終わり〜」には<自分なりには納得していた>けれど、<これだけじゃまだ全然足らないんだとう思いが徐々に膨らんでいった>。

さらに<作家としての自分の位置や存在がそれなりに安定しはじめていたことに対してむしろ苛立っていたのだと思う>。奇しくも日本経済がバブルの絶頂期に向けて進んでいた時期、「世界の終わり〜」で文学的な地位も確立し、“時代の寵児“とも言える存在になった村上春樹は、日本全体の変調ともあいまって、違和感を感じていたのだろう。

そして三十七歳の村上春樹は、<自分が今人生の一番大事な時期のひとつに差しかかりつつあるということを実感するようになっていった>、そして日本を出ることになる。

こうして、彼は「ノルウェイの森」を、<ギリシャのミコノス島で書き始め、翌年の春にローマで書き終えた>。

この小説で村上がやろうとしたこと三つのうち、二つを紹介する。(三つ目は理解するのが難しい)

<第一に徹底したリアリズムの文体で書くこと、第二にセックスと死について徹底的に言及すること>

これにより、<今あるものとはかなり違った性格の本>、さほど評価はされないが、<局所的に根強いファンがついている小品というような小説に>になるはずだった。それはよく分かる。しかし、著者の計画、僕のようなファンの感覚とは逆に、“小品“は大作となり、事件とも言うべきベストセラーとなってしまう。

村上自身<ご存じのように、そうはならなかった>とは言うものの、今振り返ると、明らかに異色の村上作品であり、僕が「村上春樹はどこに行くのか」と感じたことはごく自然な反応だった。今、「一番好きな村上作品は」と聞かれても、決して「ノルウェイの森」とは答えないし、そうした読者は多いのではないか。実は、「ノルウェイの森」は村上が計画した通りの作品になったのではないだろうか。

そして、村上自身が“死“というテーマにこだわっていたことが、ここではっきりする。

<この話は基本的にカジュアルティーズ(うまい訳語を持たない。戦闘員の減損とでも言うのか)についての話なのだ。それは僕のまわりで死んでいった、あるいは失われていったすくなからずのカジュアルティーズについての話である>と村上は書く。"casualty"は、戦争のみならず、天災・事故などによる犠牲者である。

人は、他者の死の上に存在している。僕が、五十代という若さで他界した父や、あったこともない祖先に対して、仏教的な儀式の中で手を合わせるのは、彼らの死の上に僕が存在していることの確認でもある。

「ノルウェイの森」は“恋愛小説“と見られた、しかし彼は<あえて定義づけるなら、成長小説という方が近いだろう>とし、<カジュアルティーズのあとに残って存続していかなくてはならない>、<成長というのはまさにそういうことなのだ>としている。

なるほど。僕は、リアルタイムで「ノルウェイの森」を読み“死“を思い、村上春樹が遠ざかることを感じた。そして今、あらためて“成長小説“として「大学生が読むべき小説」と主張している。

全ては、村上春樹が計画したことだったのかもしれない。

そうそう、「ノルウェイの森」を読了すると、すき焼きが食べたくなる。うまい具合に、近所の肉屋ですき焼き肉が特売になっていて、僕は女房とすき焼きを食べた。

これも村上の企みだろう


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