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内田光子with マーラー・チェンバー・オーケストラ(その1)〜モーツァルトとシェーンベルク

社会人になった頃だろうか、クラッシック音楽を聴き始めた。私の場合は、ロック・ポップスからジャズに進み、その先にあったのがクラシックだった。

映画「アマデウス」(1984年)を観たこともあって、モーツァルトをよく聴いたが、中でもフリードリッヒ・グルダのピアノ、クラウディオ・アバドがウィーン・フィルを指揮したピアノ協奏曲をよく聴いた。ドイツ・グラモフォン盤、1枚は20番と21番、もう1枚は25番と27番という名曲である。「クラシック名曲ガイド3 協奏曲」(音楽之友社)の、モーツアルト“ピアノ協奏曲第20番“の項の冒頭には、<この作品をもってモーツァルトのピアノ協奏曲は、突然の断層のようにそれまでの作品と訣別し、異常なまでの高さに達することになる>と書かれている。

私がグルダのCDを聴いている頃、内田光子はモーツァルト弾きとしてロンドンの楽壇で台頭し、ピアノ協奏曲およびピアノ・ソナタの全曲演奏会そして録音を行い、名盤(配信もあり)の一つとして数えられることになる。1996年のロンドン赴任以降、内田光子の演奏をロンドンで追いかけたが、当初ロンドンの人にとっての“我が街のピアニスト“はアルフレッド・ブレンデル、そして2番手が内田光子という感じだったが、ブレンデル引退後は、内田が“ロンドンが誇る巨匠“となった。

その彼女がマーラー・チェンバー・オーケストラとモーツァルトのピアノ協奏曲を演奏する、会場のサントリーホールに行くしかないではないか。

今回、サントリーホールでは二公演、11月7日は17番と22番、私の行った2日はグルダの盤同様で25番と27番を演奏する。

ピアノ協奏曲第25番ハ長調は、1786年に完成する。この年、モーツァルトのオペラ「フィガロの結婚」が初演され、プラハで大ヒット。プラハに招かれたモーツァルトはオペラ「ドン・ジョバンニ」を完成させ、当地のスタヴォフスケー劇場において自身の指揮で初演する。なお、この劇場は今もプラハにあり、オペラが上演されている。私が観たのは「フィガロ」だったが、小じんまりとした劇場で、当時を想像しながら観劇した。

こうした状況の中で作られた第25番は、キラキラとした美しさ、遊び心のあるチャーミングな旋律がふんだんに登場する。内田光子とオーケストラで表現された名曲、素晴らしいとしか言いようがない。内田光子は前述のイギリス室内管弦楽団/ジェフリー・テイト指揮を1980年代後半に録音しているが、2016年クリーブランド管弦楽団(自身の指揮)でライブ盤も残している。私のごたくよりも、そちらをどうぞお聴き下さい。

続いて演奏されたのは、モーツァルトから約100年の後、ウィーンで靴屋を営むユダヤ人の家に生まれたシェーンベルクの作品、室内交響曲第1番作品9。交響曲と言っても指揮者は不在、演奏するのは4人の弦楽器と10人の管楽器奏者。それまでの交響曲の概念を大きく変えた編成だが、14人で演奏しているとは思えない重厚かつ繊細な楽曲。

初めて聴いたと思うが印象的な音楽、この複雑なアンサンブルを見事に編み出していく演奏家たちの技巧、モーツァルト目当てで来た夜だが、シェーンベルクも深く心に刺さった。

それでは、明日は後半を


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