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中川右介が書いた姉妹編(その2)〜「社長たちの映画史 映画に賭けた経営者の攻防と興亡」

(承前)

中川右介は「松竹と東宝」(光文社新書)において、演劇に主体を置き、この2社の戦後までの動きを書いた。戦後においては、映画が大きな娯楽産業となり、演劇界にもインパクトを与えるのだが、この映画界の動きについて掘り下げた大作が、2023年に上梓された「社長たちの映画史」(日本実業出版社)である。副題として「映画に賭けた経営者の攻防と興亡」とある。

本書の“あとがき“によると、<当初「四大スターと五社協定」というテーマで書き始め、途中で「一九七一年の映画崩壊」に仮タイトルを変えた。>(「社長たちの映画史」より、以下同)とある。

“四大スター“というのは、三船敏郎・石原裕次郎・勝慎太郎・中村錦之助である。“五社協定“というのは、戦後映画産業が急拡大する中、監督・俳優の引き抜き合戦が発生、相互の利益のために映画会社が引き抜け禁止の約束をしたことを指す。五社とは、松竹、東宝、大映、新東宝、東映であり、後に日活が加わる。

“一九七一年“になにがあったか。経営難の日活はロマンポルノに転換し、東宝は映画制作部門を分離、そして大映は倒産する。松竹・東映の社長はその座を降りる。<「黄金時代」と呼ばれた栄華の完全なる終焉だった。>

筆者はこの“映画崩壊“を描くためには、<その前の黄金時代も書かなければ、その落差が描けないので、一九五五年あたりから書き起こした>。

本書に掲載された資料を見ると、日本における映画館数は、1960年がピークで7,457となる。入場者数の方は、1957〜60年の間は10億人を突破、その後は急激に減少する。1971年は映画館数2,974、入場者数は約2億人である。ちなみに、2021年になるとシネコンが普及し映画館数をスクリーン数に置き換えると3,648、入場者数は約1億人である。

戦後あたりから書いていけば、十分な力作になると思うのだが、中川右介という人は<映画各社や登場人物の前歴を調べて書き加えるうちに、映画伝来まで遡ってしまった。>

ということで、時は1897年(明治20年)から本書は書き出され、500ページを超える一冊となった。

まさしく日本の映画史と言えるのだが、主たる視点は経営者である。もちろん、四大スターに代表される、多くの映画人に彩られた物語だが、この群像劇の中心は経営者たちである。

膨大な資料に基づいた労作を通じて、日本映画がたどってきた道、なぜ“映画崩壊“を招いたかを知ることができる。

加えて、1950年代以降、各年の興行ランキングを興味深く眺めた。黒澤明、小津安二郎、溝口健二といった、巨匠による名作に基づく映画史ではなく、“稼ぎ頭“という観点からの映画リスト。時代の移り変わりが感じられる。“歌は世につれ 世は歌につれ“という名文句があるが、“映画も世につれ“である


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