秋の噺(その2)〜桂米朝「まめだ」
ようやく秋めいてきました。街路樹の銀杏の木の下には銀杏がたくさん落ちています。昨日の夕方からぐっと気温も下がりました。
秋の噺(その2)としましたが、「その1」は1年前。どうでもよいのですが。
秋を舞台にした落語、桂米朝さんの「まめだ」を思い出しました。私の聞いているのは、東芝EMIからのCD「特選!!米朝落語大全集 第十三集」です。
“まめだ“というのは、豆狸のこと。落語にはタヌキやキツネがよく登場し、人を化かします。キツネはずる賢いイメージの役柄が多く、タヌキは比較的お茶目なキャラクター。「狸賽」でサイコロに化けるのが有名です。
米朝さんは、マクラで大阪の町中にも昔はタヌキがうろうろしていて、道頓堀の劇場に住みついたのもいたと話します。タヌキが天井下にいると、客の入りが多くなり、縁起が良いともされていました。
そんな話から、電気のない時代の劇場の状況、維新後に、ケレンを得意とし、大阪で人気者となった初代市川右團次の芸へと移ります。この辺りは、芝居に精通する米朝さんならではの知性が感じられます。
続いて、大部屋俳優の日常へと話題は移り、その一人、市川右三郎(うさぶろう)が主人公となる本題へと入っていきます。お分かりの通り、「マクラ」は演目の重要なパーツとして振られています。
電気がなかった時代、芝居は基本的に昼間興行され、日が落ちると終演となります。舞台で主役の役者と立ち回りを演じ、トンボを切って倒れた右三郎ですが、出番の後の芝居小屋での雑事をすませ、日没後に家路につく右三郎ですが、米朝さんの語りが重要です。
劇場のある道頓堀から、戎橋の一つ東にある太左衛門橋を渡ると宗右衛門町ですが、ここは昔からお茶屋などが並ぶ賑やかな通り。もう一本北が三津寺筋で、“みってらすじ“と呼びます。御堂筋と交差する場所に、大福院三津寺があるのでこう呼ばれています。今は賑やかですが、当時は人気のない場所でした。これで、イメージは明治初期の大阪ミナミへと飛ばされます。
雨の夜、三津寺筋を歩く右三郎ですが、芝居茶屋で借りた傘が、なにやら重たくなるのを感じます。これは、まめだが悪さしているに違いない。後日、同じような雨の夜、再び傘の上に重みを感じたところで、大部屋俳優お得意のトンボを切って、まめだを振り落とします。
さて、右三郎は老いた母親と二人暮らし。母親は家伝の膏薬を売り糊口をしのいでいます。当時の膏薬は貝に詰めて売られていて、そこから薬を出して患部に貼付します。右三郎が帰宅すると、母親が「感情が合わない」と不思議がっている。1個1銭で売っているのだが、1銭足らない、代わりに銀杏の葉が1枚入っている。次の日も、また勘定が合わない。そして、そんな日は、絣の着物を着た子供が膏薬を買いに来ていました。ところが。。。。。
こうして、噺はなんとも物悲しい、秋らしいエンディングへと進んで行きます。
決して笑いの多い話ではありませんが、秋の季節、三津寺の境内にある銀杏の落ち葉が重要な小道具になっており、まめだの切ない境遇と、人間の動物愛が聴くものの心を温めます。
この落語は、上方演芸に関する著書も多くある三田純一さんが、米朝さんのために作った新作落語です。三田さんは、道頓堀の芝居茶屋の息子で、界隈に伝わる話を元にこしらえたようです。
米朝さんは他界しましたが、上方落語の名作として伝えてもらいたい演目です
*米朝さんの音源は残念ながらYouTubeには見当たりません。前述のCD(廃盤のようですが中古は安く買えるようです)は各地の図書館にも収蔵されている可能性高いと思います。代わりに、米朝の曾孫弟子にあたる桂米紫さんの「まめだ」を貼り付けておきます
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