エジンバラからロンドンの旅(その5)〜エジンバラの観光名所ホリールード宮殿
(承前)
次女の結婚式・結婚披露パーティーも無事終了、ロンドンに向けて飛び立つー予定でしたがBAからフライトがキャンセルされ、夜の便に変更した旨の連絡が入りました。おかげでエジンバラ観光の時間ができました。
私は家族と観光で訪れたことがある上、出張で何度も来ていますが、義妹は初めて。エジンバラは世界遺産に登録されている街で、旧市街のメイン・ストリートであるロイヤル・マイルからエジンバラ城にかけての街並み、聖ジャイルズ教会、新市街の方には詩人のウォルター・スコットを記念したスコッツ・モニュメントや高級ホテルのバルモラルなど、歩くだけでもおもむきを感じる場所です。さらに、観光スポットに連れて行こうと思い、ホリールード宮殿を訪れました。
この宮殿は英国王室の所有で、現在も実際に使われています。エリザベス2世は夏の間はこの宮殿に滞在していました。入場料(前売20ポンド〜約3800円、高いですが円安なので仕方ない)を払って入場すると、無料のオーディオ・ガイドが貸し出されます。日本語もあって、内容も充実しています。
12世紀の教会跡に建設された宮殿ですが、歴史の目撃者となった場所でもあります。見学者は、宮殿内の各部屋を巡りながら、スコットランド、英国王室に関するトピックをガイドを通じて視聴することができます。
解説の中で、とりわけ印象に残るのが、スコットランド女王メアリー・スチュアート(在位1542〜67年)です。メアリーは生後間もなく母親を摂政としてスコットランド女王となりますが、その後はイングランド・スコットランド、さらにはフランスも含めた政治の波の中で生きていくことになります。
各国の微妙なバランスの中、15歳でスコットランド女王のままフランス王に嫁ぎますが、王フランソワ2世の死去に伴い、スコットランドに戻ります。1561年から、メアリーが住んだのがこのホリールード宮殿。当時のイングランド君主はエリザベス1世、メアリーの父ジェームズ5世の従兄弟で、エリザベスの父がヘンリー8世。彼は多くの女性と関係を持ち、離婚問題ではカトリック教会と対立した人なので、エリザベス女王の正当性は議論の的になっていました。
そこにメアリー・スチュアートがスコットランドにその女王として戻り、イングランドの王位継承権が認められるダーンリー卿と結婚、ホリールード宮殿に迎えたものですから、政治的には微妙な状況となります。さらに、ダーリー卿とメアリーの関係は必ずしも上手くいかず、メアリはイタリア人秘書デイヴィッド・リッチオとの関係が疑われ、リッチオはメアリーの目前で殺されていまします。そして、その事件が起こったのが、まさしくこの宮殿内だったのです。
スコットランド女王メアリは、その後、国を追われ仇敵エリザベス女王のもとに身を寄せますが、最終的には処刑されてしまいます。メアリーは、自分はスコットランド・イングランド・フランスの王であるべきだと主張していたそうです。なお、このメアリーの物語は、ロンドンで再度出現するのですが、それはまた明日。
4月6日の毎日新聞に「英国人はなぜ幽霊好きなのか」という記事が掲載されていました。エジンバラは、天気が悪いと、幽霊が出そうな雰囲気の街で、いわく付きの場所を巡る、“幽霊ツアー“も催されていますが、このホリールード宮殿も、血塗られた過去、過去の王室に充満する怨念が込められているかもしれません。
なお、宮殿には庭があり、さらに背後には広大な公園が広がります。公園の中心はアーサーズ・シート(アーサーの玉座)と言われる小高い丘で、歩いて登る人々が見えます。この日は結構な強さの風でしたが、多くの人が頂上を目指していました。
さて、エジンバラの日々を終え、我々夫婦と義妹はロンドンへと向かいます
続く
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