見出し画像

芸歴四十周年「立川談春独演会2024年」8月24日昼〜三代目桂三木助トリビュート?〜

立川談春の芸歴四十周年記念興行、これで私は5回目の出陣となった。

冒頭、談春は「今日はちゃんとした独演会になる」と話した。演目は「へっつい幽霊」と「ねずみ」、どちらも三代目桂三木助の十八番とし、そこから崩すことはできないと説明する。落語好きには有名だが、「芝浜」に文学性を持たせ“名作“に仕立て上げたのが三木助である。

談春は、三木助について少し解説した。1956年東横落語会が始まる。プロデューサーの湯浅喜久治が選んだレギュラー・メンバーは、桂文楽・古今亭志ん生・三遊亭圓生・桂三木助・柳家小さん、当時の名人として安藤鶴夫が考えた落語家だったと談春は語る。

四代目は三代目の息子で談春よりは少し年長。自死する前に電話があったそうだ。当代三木助は四代目の甥である。

この流れで、自分を含む立川流の落語家は、新しいものを作ろうとする意識があることを話し、ただし自分や志らくは談志のおっちょこちょいなところを引き継ぎ、色々喋ってしまう。結果、人から意見される。志の輔は、何も言わずにやる、その代わり言われるのも嫌。

こうした落語家評が面白かった。自分含め、影響受けすぎて可哀想なのが柳家花緑、うまい具合に取捨選択しているのが柳家三三。何も言わずいい所を盗んでいるのが春風亭一之輔。

トークが終わり、一席目は「へっつい幽霊」。立川談志は、三木助の口演は変えるところがないと言った。それでも、下げを変えた。変えたというより、「あっしも幽霊、足は出しません」で終わらずに、先を作った。談春もこれを踏襲、幽霊が消えた後に、若旦那を再登場させた。

それでも、基本は三木助の型を踏襲、江戸前の「へっつい幽霊」、桂三木助トリビュートといった感じの高座で中入り。

後半は「ねずみ」。名工・左甚五郎ネタで、「芝浜」ほどではないが、三木助の高座には文学性が感じられる。仙台の宿場で“ねずみ屋“という宿を営む親子。幼い身ながら息子の卯之吉が客を引いている。そこに通りがかったのが、甚五郎。“ねずみ屋“に宿を取ることになり、親子の境遇を憂いて“福鼠“を彫る。これによって“ねずみ屋“は大繁盛となるのだが。。。。

半場まで、談春は三木助トリビュートだった。“ねずみ屋“にやってきた甚五郎、主人の卯兵衛は腰が立たないため、裏の小川で自ら足をすすぐ。この場面が良い。下手なサービスより、広瀬川の支流の美しさを愛でる甚五郎。談春も、三木助の美学を踏襲する。

ところが、「ひらめいた」と、卯兵衛の造詣を深掘りする。これが面白く、“受けた“。「こんな風に演るつもりではなかった」とするが、いいじゃないか。

この話は、左甚五郎と卯之助の再会のシーンも好きだった。この話が二人の友情物語だとも思った。

この独演会シリーズも、私が持っているチケットはあと1枚。次回は大団円・・・となるはずである

*談春は8月28日「徹子の部屋」に出演。原点として、競馬の実況中継を真似ていたことを話していた。徹子さんの「落語やって欲しい」という無茶ぶりに、座ったまま「夢金」(なぜこれ?)の冒頭を。驚いたのは、談志・志ん朝を含むほとんんどの落語家は、ネタを書き起こした“落語ノート“を持っているが、談春の場合はそれがない。頭の中にすべて記憶されているとは、ちょっと驚きである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?