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民主主義に対する挑戦なのか?〜沢木耕太郎「テロルの決算」との相違

7月8日、在宅勤務だった。昼食を取りながらニュースを見ていると、安倍元首相が演説中倒れ、散弾銃で撃たれた可能性があるとの報が入ってきた。それでも、民放はしばらくの間、いつも通りの番組を流していた。NHKだけは記者が現地にいたこともあり、番組内容が変更され報道を続けた。

その後は、ご存じの通りであり、相手が誰であれ人を殺傷するという行為は許されないことであり、安倍元首相のご冥福をお祈りする。

この蛮行に対し、茂木幹事長は「民主主義の根幹たる選挙中のテロ行為は、民主主義に対する挑戦だ」と語った。朝日新聞は社説で、<銃弾が打ち砕いたのは民主主義の根幹である>と書いている。野党も含め、同様の発言をする政治家が多くいた。

確かに選挙応援演説という、民主主義の象徴のような行動を、暴力をもって中止に追い込むことは、外形的には<民主主義に対する挑戦> であり、二度と起こってはならない。しかし、これまでの報道では、容疑者はそのような思想的な動機は持っていなかったようである。

この事件をどう考えれば良いのだろう。今後の日本、我々の生活にどういった影響を及ぼすのだろう。国民は何を求められているのだろう。今日は参議院選挙である。

この事件に接し、思い出した本がある。沢木耕太郎の「テロルの決算」である。1960年10月、日比谷公会堂で演説中の社会党委員長、浅沼稲次郎が刺殺された事件を書いたノンフィクションである。「テロルの決算」は1979年大宅壮一ノンフィクション賞を受賞、沢木の出世作である。

私はこの本を大学時代に最初に読んだ。当時の自分と同年代だった若者が、なぜテロ行為に走ったのかに興味を持ちながら文庫を手にとった。残念ながらその文庫版は手元になく、本棚に並ぶ文藝春秋刊「沢木耕太郎ノンフィクション」、第7巻「1960」を引っ張り出した。

昭和三十五年十月十二日、日比谷公会堂の立会演説会にのぞんだ浅沼稲次郎社会党委員長は、いつもの覇気がなく、右翼の野次に立ち往生する。それでも、演説を続けようとしていたが、<右側通路からひとりの少年が(壇上に)駆け上がった>。 少年は、<両手に短刀を握り、激しい足音を響かせながら、そのまま浅沼に向かって体当たりを喰らわせた>。

<少年は、一瞬の空白の後で懸命に飛び出してきた十数人の私服刑事と係員に、凄まじい勢いで取り押さえられた>。しかし、<浅沼はすでに意識がなく、間もなく絶命した>、<死因は出血多量だった>。

銃と短刀という違いはあるが、驚くほど一昨日の状況に似ている。しかし、犯人の少年は<十七歳の元大日本愛国党員だということが明らかに>なる。右翼団体に入っていた少年の動機について、<「識者」のほとんどが、少年は「使嗾(しそう)されたにすぎない」とみなした>。少年、山口二矢(おとや)は<あやつり人形に似た「殺人機械」>だとし、背後で糸を引いたものがいたと推測したのだ。また、「二矢伝説」が流布されていく。

沢木は書く。<山口二矢は自立したテロリストだったのではあるまいか>、<もし、そうでないとしたら、浅沼は文字通り「狂犬」に噛まれて死んだ、ただの運の悪い人というだけの存在になってしまう>。安倍晋三は、“ただの運の悪い人”なのだろうか。“自立したテロリスト”がいかに形成されていったのか、沢木はそれを紐解こうとする。

また、浅沼を失った社会党だが、<内部の抗争が激化し、国民の支持を少しずつ失い、衰退の流れを自ら早めていった>。十七歳の少年の行動と、それによって中心軸を失った政党に何が起こったのか。

ここまで引用したのは、「テロルの決算」の序章の部分からである。私は、すっかり内容を忘れている本書を読み始めた。今回の事件と「テロルの決算」の相違点は何か? 共通点は?


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