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ミッシャ・マイスキーがいる〜J.S.バッハ無伴奏チェロ組曲全曲演奏会(第一夜)

今も現役で聴くことのできるチェロの巨匠と言えば、ヨーヨーマ、そしてミッシャ・マイスキーという名前が挙がるだろう。

そのマイスキーが、日本でバッハの無伴奏チェロ組曲の全曲演奏会を行う。これは一大事である。「一大事」って、こういう時に使って良いのかと思い、辞書を調べてみた。精選版日本国語大辞典によると、<②一つのたいせつな事柄>とあるが、①は<仏がこの世に出なければならなかった、根本の事情>とあった。

マイスキーがチェリストとなった根本の事情は、バッハの無伴奏を演奏するためである。うん、そういうことにしよう。

話は横道にそれるが、フランスのブルゴーニュ地方にヴェズレー(Vezelay)という村があり、一度訪れたことがある。キリスト教の聖地、サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼の為の起点の一つである。そこに、ユネスコ世界遺産にも登録されている、聖マドレーヌ大聖堂があるのだが、このロマネスクの教会でロストロポーヴィチチェロ組曲を演奏・録音しCD化している。

その印象もあって、私にとってこのチェロ組曲は聖なる音楽のイメージがあるのだが、とりわけ第1番はそうで、マイスキーの演奏を聴きながら、遠くヴェズレーの教会を思い出していた。ロストロポーヴィチは、マイスキーと同じ旧ソ連邦出身で、マイスキーはロストロポーヴィチに師事した。

この後は第2番とはいかず、第4番。プレリュードについてマイスキーは、<音の跳躍が激しくて、チェロよりもオルガンで弾いた方がふさわしいくらい>と語っている。変ホ長調、内省的な前奏曲で始まり、華やかな舞曲へと移る。第5曲のブレーの旋律で、頭の中の記憶が蘇る。

休憩の後に演奏された第5番は、ハ短調で書かれ、「今日の主役は私よ!」と宣言しているような威厳があり、どのような状況で聴いたとしても素晴らしいと感じるだろう風格すら感じる。

なお、マイスキーは様々な演奏順を試しているようだが、今回の並びは1980年代半ば、無伴奏チェロ組曲の最初のCDを出した時の曲順と同じである。1999年の二度目の録音時は、1、2、6、3、4、5番という並びになっている。

さて、アンコールである。チェロの独奏というプログラムの中、どうするのだろうと思っていたら、舞台後方からピアノが移動された。そして、登場したマイスキーは若い男性を従えている。開場前に、マイスキーがホールに入っていくところを目撃したのだが、その時に連れていた若い男性である。

「こんばんわ」と日本語で聴衆に挨拶した後、英語で話し始めたマイスキー。今回でなんと52回目の来日だそうだが、小さかった6番目の子供も来日を重ねるうちに18歳になったと紹介。サプライズの親子共演となったが、演奏したのは私の大好きなバッハのチェロ・ソナタ1番。アルゲリッチとマイスキーの共演がCDとなっており、何度も聴いた曲。

これで終演かと思ったが、最後にもう一曲、「G線上のアリア」のチェロ版を二人で演奏し初日の幕を閉じた。

明日は第二夜を


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