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「ミチクサ先生」の導きは続いている〜夏目漱石「虞美人草」

以前、伊集院静が日経新聞に連載していた「ミチクサ先生」をきっかけに、旅の思い出を何度か書いた。その「ミチクサ先生」は無事連載が終了、そろそろ単行本化されるのではないかと楽しみにしている。

夏目漱石を題材にしたこの小説を面白く読んでいたが、同時に夏目漱石を読みたくなり、少しずつ読み始めている。最近は、未読だった「虞美人草」を読了した。私ごときが、漱石について書く必要はないのだが、ちょっと記録しておく。

「虞美人草」は、漱石が初めて新聞(朝日新聞)に連載した小説だ。「ミチクサ先生」にも、朝日新聞がお抱えの小説家として漱石を抱えようとする場面が確かあった。新聞連載を意識したのか、「虞美人草」はドラマ性が高い。

物語の中心にいる男性3人は、甲野欽吾、小野、宗近。女性は、欽吾の妹 藤尾、小野の恩師の娘 小夜子、宗近の妹 糸子。彼らが、収まるべきところに収まればドラマは起こらないが、当然、そうはならない。その中心にあるのが、藤尾の魅力と小野の優柔不断さだと思うが、後者には読んでいて本当にイライラさせられる。明治の読書も、同じような気持ちで連載をフォローしていたのではないだろうか。

ドラマ展開は、もちろん面白いのだが、登場人物のセリフに漱石の考えが詰められているようで、興味深い。例えば、甲野と宗近の会話、<「愛嬌と云うのはね、ー自分より強いものを斃(たお)す柔らかい武器だよ」「それじゃ、無愛想は自分より弱いものを、扱(こ)き使う鋭利なる武器だろう」。

外交試験に受かり西洋に行くに際し、身なりを整えないといけないとする宗近がこう言う、<「西洋へ行くと人間を二た通り拵(こしら)えて持っていないと不都合ですからね」>、そしてその二通りとは、<「不作法な裏と、綺麗な表と。厄介でさあ」>。

これに対し、宗近の父親は、<「日本でもそうじゃないか。文明の圧迫が烈(はげ)しいから上部(うわべ)を綺麗にしないと社会に住めなくなる」>、それに対し宗近は<「その代わり生存競争も烈しくなるから、内部はますます不作法になりまさあ」>とコメントする。

情景描写も生き生きとしたものが多い。私の好きな箇所を一つ紹介する。雑踏の中で、宗近が小野を見かけるシーン、<電車が赤い札を卸して、ぶうと鳴って来る。(中略)古本屋から洋服が出て来る。鳥打帽が寄席の前に立っている。今晩の語り物が塗板に白くかいてある。空は針線(はりがね)だらけである。一羽の鳶も見えぬ。上の静なるだけに下はすこぶる雑駁な世界である。>

漱石の作品は、著作権が切れており、Amazonの電子書籍などで、タダで読むことができる。贅沢な話である


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