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放送法が求める「政治的公平」とは(その2)〜政府のモチベーションはなんだったのか

(承前)

本件を推し進めた総理補佐官のモチベーションは何だったのか。それは、はっきりしない。下衆の勘ぐりだが、一部の番組に対し当時の安倍首相が“行き過ぎ“と感じており、彼の気持ちを“忖度“し、自身のポイント稼ぎを企図したように見える。

総理補佐官は、たび重なる総務省官僚とのミーティングを通じて、従来の、放送法における“政治的公平“を、<放送番組全体としてバランスのとれたものであること>とする法解釈の補充説明として、<一つの番組でも、次のような極端な場合においては、一般論として『政治的に公平であること』を確保しているとは認められない>という、メッセージを、国会の場で政府が発するべく、調整を重ねている。蛇足だが、最初の問題提起は、2014年11月、参院総務委員会での答弁は2015年5月。なんと、半年も官僚たちの大事なリソースを使わせたのである。

分かりやすくいうと、今回の文書でやり玉に上がっている番組の一つはTBSの「サンデーモーニング」だが、その番組で多少政権批判の意見が多かったとしても、TBSの番組全体を見ればバランス取れてますでOKだったのが従来の解釈である。ところが、基本はそうなのだが、「一つの番組の内容が“極端“だと認められれば、放送法違反に問われることありますよ」となるのである。

私には、このことが放送局側へのプレッシャーにならないとは、到底思えない。

政治家が自分の立場を悪くするような報道を見て、不愉快に思う。ある意味、当然である。しかし、そのことをもって、個別の番組に介入する、それはソフトなアプローチであっても、危険な行為であり断じて許してはならないことである。そうした、“あぶない“領域に踏み込みそうになったのが、本行政文書で明らかになったことだと考える。

話題になっている、高市元総務相の行動はどうだったのか。メディアは総務省の所管であり、本件の最大の当事者である。高市氏は2月に最初の説明を受けており、その時の文書などが“捏造“騒ぎになっているのだが、私から見ると大した文書ではない。ただ、そこから感じ取られるのは、高市氏が本件を主導しているのではないこと、安倍首相(当時)の意向を気にしていることである。

3月、安倍首相への説明結果について高市氏に報告がなされる。後述するが、安倍氏の周囲には、「一つの番組」に踏み込むことの危険性について説明し、自重すべく進言した人がいたようである。にもかかわらず、国会でやることについて、安倍氏は、<「良いのではないか」「ただし慎重にやってくれ」とのことであった>。

高市氏は総理の反応を受け、<「本当にやるの?」>、<総理が『慎重に』と仰るときはやる気がない場合もある>と発言し(これも捏造なのだろうか?)、準備は進めるものの、やや半身の印象である。安倍氏も高市氏も、本件のナイーブさについては理解していた。予算委員会ではなく、総務委員会での答弁としたのは、安倍氏の意向のようだ。あまり、目立った動きにはせず、ジャブ程度にメディアに牽制球を投げられれば十分と考えていたように見える。

そして、参院総務委員会での答弁となる。

彼女は、文書が“捏造“などと言っているが、仮にそうだとしても、この一連の動きを受けて2015年5月12日に、参院総務委員会で答弁に立つ。これはまぎれもない事実である。

自民党議員が用意された質問を行い(振り付け通りの誘導的な問いかけ)、それに対し高市氏は、放送法の解釈に関する補充的な説明として<1つ番組のみでも国論を二分するような政治課題について、放送事業者が一方の政治的見解を取り上げず、殊更に他の政治的見解のみを取り上げて〜(中略)〜放送した場合のように〜(同)〜番組編集が不偏不党の立場から明らかに逸脱していると認められる場合といった極端な場合においては、一般論として政治的に公平性であることを確保しているとは認められない>と答弁している。


総理大臣がテレビ番組の内容に憤慨し、それに対してなんらかの影響力を行使しようと考える、そしてそれを実行に移す。こうしたことが、現実に起こりえることを、よく理解しておかなければならない。

明日は、総務官僚の動き、安倍氏側近の良識ある人、そして私たちがなすべきことについて記し、終わりとしたい


*国会答弁からの抜粋


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