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最後の傳志会〜志の輔の読む「高瀬舟」

2021年11月29日 イイノホール

立川談志の志を傳える会、志の輔談春生志雲水の傳志会。月曜日の昼にも関わらず満席である。時間に余裕がある私は、 第12回からこの日の第14回まで通った。来月から仕事が始まるので、次回も平日昼なら、足を運ぶのは難しい。これでこの会も最後か。

最初に上がったのは生志が話を始める。ちょっとしたきっかけで始まった会、トップバッターとトリは生志か雲水、間に志の輔と談春が挟まるという構成で始めた会だが、一つの区切りとして今回で終わりにすると。志の輔と談春が同じ会に出る機会はあまりない。その意味で貴重な催しだったが、今後は生志と雲水を軸にした新しい会を開くとのこと。

サラ口ということで、生志は「猫の皿」で客席をほぐした。

続いて登場した談春。師匠の談志没後10年ということで、<師匠の下手なところを探している>、<志ん朝師匠、圓生師匠は上手かった。それに引きかえ談志は>、<しかし、悪いところのほとんどが自分と重なる>と。談春なりの、師匠への思いの表現だろう。

後が長いので15分で終えると言いつつ入ったのは「真田小僧」。生意気な息子に、まんまと小遣いを召し上げられる話。談春演じる子供は絶品で、親父が騙されるのもよく分かる。大ネタは勿論上手いのだが、こうした軽い話も談春の手にかかると聞き応えのある一席となる。下げまで演じず、サラッと切る演じ方は、次の志の輔へのつなぎを意識していたと思われ、こちらも見事である。

中入り後、高座に上がった志の輔。京都芸術大学にある歌舞伎仕様の劇場、春秋座で口演した話。京都芸術大学は、もとは京都造形芸術大学という名前で、名称変更する際、京都市立芸術大学との間で、法廷で争ったことを語り、”裁き”というものに触れる。

政談ものかと考えていたら、<最後の会なので、少し違った世界を>として本編に入った。三味線が鳴り、京都に流れる高瀬川、そこに浮かぶ高瀬舟について語り始める。

島流しとなる囚人を、同心は高瀬舟で護送する。親族一人の同船が許されるが、罪人喜助はただ一人で乗った。弟殺しの罪を犯したという喜助は、晴れやかな様子である。同心庄兵衛は、堪え切れず喜助と会話を始める。喜助の話を聞き終わった庄兵衛は、罪人の縄をほどく。

幸福、安楽死、罪、裁き、様々なテーマが、笑いはまったく伴わない高座の中に詰まっている。志の輔は、「森鴎外作『高瀬舟』読み切りです」と話を終えた。静かなこの話に、観客をグッと引きつけ離さない志の輔の話芸の凄さ、改めて感心した。

なお、小説の朗読ではない。森鴎外のテキストを追いながら、志の輔作品に仕立て上げている。帰宅後、調べてみると三遊亭圓生の録音がアップされていた。こちらも、森鴎外の美文をベースにしながらも、圓生のモノにしている。テーマ云々をつい考えてしまうが、なによりも罪人の喜助という人物が魅力的に描かれている。そのことが二人の落語家を刺激したようにも思える。また、優れた小説というものは、そういうものではないか。

尚、原作のエンディングで、喜助の罪についてふに落ちない庄兵衛の気持ちが書かれているが、圓生はこの部分をカットしている。志の輔も同様だったと思う。また、上述の縄を解くくだりは原作にはない。


ここで最後に上がる雲水は相応のプレッシャーだったであろう。入った話は、上方落語「胴乱の幸助」。大きなネタだと思う。胴乱とは、<革またはラシャ布などで作った方形の袋(広辞苑第七版)>、お金などを入れるポーチである。

幸助は一代で薪などを扱う割木屋を起こした人物で、今は息子に商売をまかす身分となり悠々自適。ただし、いわゆる”遊び”は全く知らず、唯一の楽しみは喧嘩に割って入り、胴乱のお金を使ってご馳走し、仲直りさせることという人物である。

この”割木屋のおやっさん”をめぐる話だが、街中・稽古屋・京都と3つの場面があり、なかなかに難しい演目だと思う。雲水は懸命に演じていたが、後半少し息切れ気味だったのが惜しかった。


献立日記(2021/11/30)
妻と上野「黒船亭」

*三遊亭圓生の「高瀬舟」


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