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ウクライナの未来〜スラブ文化の起源だけに

遂にロシアがウクライナに侵攻した。確かにプーチンの行動は非難されるべきものに見える。

それでも、世界的な批判を受けるのは必至だったのに、なぜここまでやるのか。報道等を見ながら、私なりにの知識で、理解に努めてみた(深い知識に基づかない感想です。また、現在の状況を憂う気持ちを持っており、理解をする為に頭の中で整理したものです。決して茶化して書いているものではありません)。

ロシアなどのスラブ民族を中心とする国家の起源と言われる、キエフ大公国。今の、ウクライナの首都を都とした国は9世紀に成立した。今のウクライナ、ベラルーシ、ロシアの一部を含む地域は、「ルーシ」と言われていた。「ルーシ」ー「ロシア」である。ベラルーシは、昔日本で「白ロシア」と言われたが、ここでも「ルーシ」ー「ロシア」である。

その後、キエフ公国はモンゴルの侵入を受け、そこから逃れた民族がモスクワを中心として国を起こし、ロシアとして国力をつけていく。

こうやって見ると、キエフが本家でモスクワが分家のように見えるが、分家が発展する中、本家は苦難が続き立場は逆転、モスクワが本家、キエフが分家という風になる。また、モスクワから見ると、キエフは失われた本家創業の地なのである。

キエフ分家は、周辺の勢力の脅威に常に晒されるが、第二次世界抗争後、モスクワ本家は、周辺の弱々しい勢力を押さえつけ、広域集団ワルシャワ一家を形成、NATO一家と対峙する。

本家はソ連という仕組みの中で、キエフなどの分家と強力な支配・被支配関係を築きつつ、ワルシャワ一家を維持するが、モスクワ本家の力が弱まるにつけ、各分家やワルシャワ一家所属の構成員は不満をつのらせ、本家のゴタゴタに乗じ、ワルシャワ一家は分裂、分家は独立した店を構えるようになる。キエフ分家が独立したのは1991年のことである。

さらに、“冷戦“という名の下で、本家の宿敵だったNATO一家は独立した分家を応援し、多くの旧ワルシャワ一家構成員は本家からの介入を防ごうとNATO一家と盃を交わす。本家の力が弱まる中、NATO一家の大親分ワシントンは、「“冷戦“は終わった。これからはワシントン親分が世界を監視し、問題があれば解決するぞ!」と。

モスクワ本家は不満をつのらせながら、NATO一家に対抗すべく、全面戦争は避けながらも、様々な抗争をしかけ、時は流れていった。

そして遂に分家の筆頭株であるキエフ家が、NATO一家と盃を交わしたいと言い始める。モスクワ本家から見ると、揉め事はあっても根っこではつながっている兄弟分だ。一方の、NATO一家としても、モスクワ本家との全面戦争になるリスクもあり、キエフ家には良い顔しながらも、盃を交わす日取りは決めない。NATO一家の有力幹部の中には、モスクワ本家から天然ガスを購入しているものもいる、事を構えることは避けたいのだ。

モスクワ本家を率いるプーチン親分は、強い本家を再興すべく努力を重ねている。その一つが、様々な手段で分家の主人に本家の息のかかった人材を送り込むことである。ベラルーシ家ではそれが成功しているが、キエフ家においては家中の人々の支持がなかなか得られない。キエフ家主人としたら、早くNATO一家に入れてもらわないと、プーチン親分からいじめられるー。

さて、一方のNATO一家のワシントン親分だが、調子に乗って手を広げすぎ、弱ってきている。さらに、チャイナ家が着実に力をつけてきており、頭を悩ませている。そんな中、モスクワ本家のプーチン、このタイミングで、「キエフ家には手出しするなよ」と強く言い込んでおこうと考えた。

そして、遂にモスクワ本家はキエフ家のシマに乗り込んだ。。。。。。


プーチン親分は、「キエフ家は絶対にNATO一家には加わらない」という約束を取り付ければ満足するのか。それともキエフ家の親分の首を取らないと気がすまないのか。キエフ家の人々はどう動くのか、モスクワ本家の中にも、プーチン親分に賛同しない人はいる。NATO一家は全面戦争をするつもりはないが、モスクワ本家との取引を止めた。次の一手は何があるのか?

そして、私は何をすればよいのだろうか?


*9−13世紀の「ルーシ」

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