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ウクレレえいじから「百年目」〜第三回立川生志の番(その2)

(承前)

中入り後に登場したのは、ウクレレえいじ。私の知らない芸人である。 調べてみると、役者を目指していた人らしいが、芸人に転身した。ウクレレの演奏と共に、“細かすぎて伝わらないモノマネ“の連続披露も見せてくれた。

個人的には嫌いじゃない芸人。協会に入って寄席に出ると、良い味を出してくれると思うのだけれど。

そして、本日のトリ立川生志が登場。いきなり入った噺は「百年目」。 大ネタ中の大ネタで、約一ヶ月前、ゴールデン・ウィークに浅草で開催された独演会で、立川談春が口演した。その際に、この演目について色々書いた

大店で、番頭が小言を言う場面から始まる。こよりを作る仕事のかたわら、遊んでいる丁稚。夜遊びをする奉公人に、苦言の嵐。いかにも堅物そうな番頭だが、実は年季の入った遊び人。得意先まわりをすると、店を後にするのだが、行き先は芸者あげての船遊び。桜の季節である。“隠れ遊び“とし、人目を避ける番頭だが、酔いがまわるにつれ。。。。

前述の談春の会の感想で、この噺の後半・クライマックスに登場する旦那の造形が難しいと書いた。

立川生志は、順調に前半の番頭を演じて物語を進める。さて、生志はどう旦那を演じるのか。

工夫があった。番頭を諭す旦那だが、そこには旦那自身の反省があった。まだ一人前とは言えない息子が、もう少し成長するまで、別家・独立させてしかるべき番頭を手元に置き続けたと語るのだ。

その自分の我儘が、番頭の行為の遠因の一つであると考えるのだ。

この落語の第一人者の桂米朝、東京で本作を演じた三遊亭圓生。二人とも、すでに身についた貫禄がある。それを背景にして、「百年目」の旦那をどう演じるのかである。古今亭志ん朝も演じたが、若き日から旦那の風格があった。天才だから仕方がない。

59歳とそれなりの年齢になっているとは言え、生志は旦那に自身の弱さを敢えて吐露させることによって、生志なりの「百年目」を作ったと感じた。

YouTubeの「立川生志チャンネル」をチェックすると、2021年に演じた「百年目」がアップされていた。冒頭のトークの中で、圓生ー三遊亭鳳楽と受け継がれたものを、27−8年前の前座の頃に教わったと話している。さらに、「僕らしい『百年目』になっているんじゃないかと、自負している」と。

念のため、「圓生百席」の「百年目」を聴くと、別家を引き延ばしたことについて旦那は詫びるが、息子云々のくだりなどはなく、生志の演出に比べると、旦那の後悔している感じはない。(こちらは東京落語会の口演

決してそれが悪いわけではなく、それぞれの演者が自分の“人(にん)“に合った旦那像をこしらえているのである。

前半・後半とも、「落語」を生き物として捉え、自分なりの噺を作り上げる。雲水・志の輔・生志の三人のこうした姿勢を強く感じた落語会だった。

立川談志の“志“は、脈々と生き続けている



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