見出し画像

芳幾・芳年 国芳門下の2大ライバル〜三菱一号館美術館は長期休館へ

東京・丸の内にある三菱一号館美術館。「ヴァロットン展」を楽しませてもらい、今回は江戸時代末期の浮世絵師、歌川国芳(1798〜1861年)門下の、月岡芳年落合芳幾の展覧会。これをもって、同美術館は改修のため、2024年秋まで休館となる。

芳年は明治25年53歳、芳幾は明治37年(1904年)70歳で生涯を閉じる。歌川国芳というと、ずっと昔の人のように思えるが、その弟子となるとグッと身近な存在になる。

展示の冒頭、国芳の言葉が掲示されている。曰く、「芳幾は器用ではあるけれど覇気に欠ける」、一方の芳年は「覇気はあるけれど器用さに欠ける」。この言を受けてか、二人はライバルとして競い合う。

残念ながら、三菱一号館美術館は展覧会サイトを閉じてしまっているので、撮影が許された場所で撮った作品を再度眺めてみる。

見事だと思った作品の一つは芳年の「藤原保昌月下弄笛図」。笛の名手、藤原保昌を盗賊が狙おうとするが、一分の隙も見られず断念した場面である。ここに描かれたシーンは、“覇気“はグッと絵の中におさえこまれているが、それが故の迫力が感じられる。この絵が描かれたのは明治16年、もちろん国芳の死後である。この作品を見たら、国芳は「器用さに欠ける」とは言わなかったろう。

「芳年武者无類(ほうねんむしゃぶるい)」という連作も展示されていたが、素晴らしい絵が多くあった。例えば、牛若丸と盗賊・熊坂長庵の対決シーン。牛若丸がダイナミックに動いているかのようである。『弾正忠松松永久秀』、織田信長に名器・平蜘蛛茶釜を差し出すように要求された久秀が、釜を叩き割る。破片が、画面の外に飛んでくるかのようだ。

平清盛も素晴らしいし、矢傷を負った畠山庄司重忠の迫力も凄い。このシリーズで、一番好きだったのは、「八幡太郎義家」。源義家は、頼朝の祖先にあたる武勇の士。若い頃は人妻と密会していて、それを阻むべく亭主は義家をつまずかせようと碁盤を仕掛ける。ところが、義家はこれを一刀両断にし、亭主は逃げたという逸話を描いた。義家の男っぷり、軽やかな身のこなしと刀さばき、後ろから照らす満月。躍動と静寂が一体となっている。

芳年の作品群を見ていると、「鬼滅の刃」などのマンガに通じるものを感じる。と思っていたら、「警視庁草紙」という山田風太郎原作のマンガとのコラボ企画も展示されていた。

芳年ばかり書いてきたが、世の中の評価的には月岡芳年の方が高いようで、辻惟雄「日本美術の歴史」を見ると、 明治となり<体制の崩壊を眼のあたりにして、民衆の心も動揺を免れない。幕末・明治初年の歌舞伎の演出には、血腥さと怪奇が好まれた。江戸の浮世絵師月岡芳年はそれを鋭い病的感覚でとらえ>と記述があるが、芳幾の名前は登場しない。

確かに、落合芳幾の作品を見ると、優等生の感じがある。しかし、そこには現代に通じる進取の気性が感じられる。例えば、シルエットの絵、モダンである。好きだったのは、「与ハなさけ浮名の横ぐし」。歌舞伎演目の登場役者の似顔絵だが、師匠・国芳譲りで動物、この作品では猫に見立てて描かれている。

芳幾は、東京日日新聞(今の毎日新聞)の創刊にも関与し、新聞に錦絵を書くが、新聞名を支える天使の絵を含め、ちょっと洒落ている。芳年も報知新聞に同様の絵を描いているが、芳幾の方は上品さを感じる。

身近な場所でアートを楽しませてくれた、三菱一号美術館。短い付き合いだったが、長い休館は少し残念である



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?