見出し画像

孫を連れての東京ディズニーランド(その1)〜“It’s a Small World“

子供の頃、私の夢の一つはアメリカにあるディズニーランドに行くことでした。日本にあるのは遊園地であり、テーマパークなどというコンセプトは存在していません。小学校6年生のある日、父親が小学生のための海外ツアーのパンフレットを見せてくれました。商売で忙しい我が家では、夏休みの家族旅行などまともに行ったことはなく、その穴埋めとして父が提案してきたものでした。

カナダ・アメリカ行きと、イギリスの2パターンがありましたが、私の選んだのはカナダ・アメリカ。なぜならば、その旅程表にはディズニーランドが含まれていたからです。「夢の国」は、時間的な制約、自由行動の制限と、若干消化不良でしたが、そこで買ったディズニーランドのガイド・ブックレットの裏表紙に掲載された写真が、フロリダのディズニーワールドでした。私の次の目標はディズニーワールドとなったのです。

1983年東京ディズニーランドが開業。大学4年生の年で、開業早々に訪れました。結婚、子供ができ、1989年には、1歳半の長女を連れ、遂にディズニーワールドへ。その後も、東京ディズニーランドにはしばしば訪れましたが、ロンドン赴任後は家族でパリのディズニーランド。香港のそれも一応チェックしました。東京ディズニー・シーも行きました。

とまあ、そこそこのディズニー好きですが、子供も大きくなり、付き合ってくれる家族がいなくなり、ディズニーとも縁遠くなりました。それでも、人生の節目節目で訪れたディズニーランドの記憶はつながっています。

そして、遠路はるばるロンドンから日本にやってきた4歳の孫娘は、当然にしてディズニーランドに行きたい! 祖父の立場としては、彼女の願いを叶えるのは当然です。

ターゲット日は12月28日、クリスマス後ではありますが混雑が予想されるため、事前にチケットをゲットします。我々夫婦に長女家族、そして次女とその彼氏、総勢8名の団体様です。「イベントワクワク割」という、政府の補助つきのチケットがあるので、2ヶ月前の予約開始時にしっかり購入です。(なお、入場時にワクチンの接種証明提示が求められました)

家族でディズニーランドに行っていた頃の、基本的な考え方は、私の指示に従うことでした。事前にある程度の希望を聞いた上で、園内における動き方は、効率性を重視する私のプランに逆らうことは許されません。今回は、4歳の孫が主役なので、なかなか難しいものがあります。しかも、彼女は驚くほどの“怖がり“。「眠りの森の美女」のテーマ曲を聴くだけで、オーロラ姫を見るだけで、怖い場面を思い出しベソをかくというレベルです。乗れるアトラクションはかなり制限されます。

そうなると王道は、やはり『イッツ・ア・スモール・ワールド』です。シンデレラ城を通り抜け、一気に“ファンタジーランド“に入り、子供は『ダンボ』に当然興味を示すのですが、なんとか言いくるめて『イッツ・ア』の行列に並びます。

1964年のニューヨーク万博のためにディズニーが制作したこのアトラクションは、「世界は一つ」とするディズニーの理念を具現化したものであり、ディズニーランドの数ある施設の中で最も重要なものです。

ボートに乗り込んだ我々も、日本人4名、フランス人1名、スコットランド人1名、日本/フランスの子供2人と“スモール・ワールド“でした。

かつては、ディズニーのキャラクターは登場しない、そうした点でも純粋なものでしたが、久方ぶりに入るとキャラクターも出現しました。「いかがなものか」と思わないではないですが、孫が喜んでいるから許します。

「世界は一つ」、アトラクションと孫の反応を楽しみながら、平和な世界で娘や孫たちが生きていって欲しい。そんなことも考えたディズニ=ランドでした。

気がつきました。なぜ、私がディズニーランドに魅せられてきたのか。それは、こうしたウォルト・ディズニーの思いが、脈々と生きづいているからなのです


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?