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高野秀行著「イラク水滸伝」〜メソポタミア文明をつなぐ人たちとの共生

「デューン 砂の惑星」と並行的に読んだのが、高野秀行著「イラク水滸伝」(文藝春秋社)である。こちらも大著であり、その点では「デューン」と共通するのだが、それ以外は特に関係はない。しかしながら、双方を読み進むうちに、なにか通じるものがあるような気がした。

「デューン」に登場する民族フレメンは、体制の外側に存在し、独自の文化・風俗を発展させている。こちらはSFというフィクションの世界である。「イラク水滸伝」は、高野秀行が現実として体験するドキュメンタリーだが、そこにも同じように独自の世界を築いている住民、水滸伝に登場する“梁山泊“に生きるような人々が登場する。ただし、こちらはリアルである。

世界史を学習された方はご存知の通り、最初に登場するのは世界四大文明の誕生。エジプト、黄河、インダスと並び称されるのがメソポタミア文明。チグリス・ユーフラテス川流域の地域に居住したシュメール人から始まったとされるもの。高野秀行が取材するのは、現在のイラクに属するこのエリアである。デューンと異なるのは、あちらは砂漠の世界だが、「イラク水滸伝」の世界は<砂漠というイメージしかないアラビア半島なのに、水牛を買って小舟で移動している人が住んでいるとは>(「イラク水滸伝」より、以下同)という、湿地帯アフワールである。

湿地民は「デューン」のフレメンのように、厳しい暮らしを営んでいる。一方で、フレメンの住む星から生産される香料が不可欠なものであったように、<都市と湿地、文明と非文明は相互依存の関係だったのではないかと思われる>。また、“湿地“は“非文明“としているが、そこにはメソポタミア文明に名残が存在している。

この湿地民の生活に、高野氏はその身を投げ出し、インサイダーになって知ろうとする。いや、彼ら湿地民以上に湿地文明に身を投じその本質を知ろうとする。これが、凄い! いわゆるノンフィクション、ドキュメンタリーと違うのは、この作品における主体は著者の高野氏であって、彼の能動的な行動を通して、イラクの人々の本質が描かれるのである。

イスラエルとハマスの間の“戦争“は今も続いている。それは、私にとっては遠い世界の出来事であり、根本的な問題は理解できない。本書を読むと、彼らは同根であり、その始まりはイラクの湿地帯にあったように見える。湿地帯エリアには、多くのユダヤ人が住んでいた。イスラエルという地域の中で、ユダヤ人とパレスチナ人が争っている。その実は、もっと広大な地域における共生の問題のように感じた。

まとまりのない文章になっているが、それが本書の特徴であり、素晴らしいところだと思う。高野氏は、水牛のクリーム「ゲーマル」や鯉の円盤焼きといったイラクの国民食を食べ、湿地帯を旅するための舟「タラーデ」を注文し、謎のマーシャアラブ布を追いかける。一定の仮説を持ちながら現地で取材して裏付けるという組み立てではなく、著者が面白いと思うことを実際に追求する。その答えだけではなく、そのプロセスが面白い。

日本に住んでいると、世界で起こっている様々な紛争がピンとこない。それは、国という体制の外側にいる人、あるいはボーダーラインで生活する人たちについてイメージが湧かないからだろう。世界の多くの国家は、その中に“水滸伝“で描かれるような“アウトロー“の国民を内包している。そのことを、身近に体験することができる書物でもあると思う


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