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ちばあきおを憶えていますか〜「キャプテン」の向こう側(その1)

先日終了したが、日経新聞の「私の履歴書」に、マンガ家の里中満智子が書いていました。5月12日の第11回、マンガ家として独り立ち19歳の頃、親友が上京して来たところから、このエピソードは始まります。

里中さんは、その親友のアルバイト先として講談社を紹介、その関係で彼女はちばてつやの仕事場に出入りするようになり、弟のちばあきおと知り合い、遂には結婚するのでした。こうしたこともあり、里中さんと千葉家は家族ぐるみの付き合いとなります。

へぇーと思いながら読み、久しぶりに“ちばあきお“という名前を目にしたと思っていました。そうしたところ、 5月28日の朝日新聞夕刊に、“「キャプテン」父をもっと知りたくて“という見出しの記事が載っていたのです。

記事は、ちばあきおの長男、千葉一郎が書いた、「ちばあきおを憶えていますか〜昭和と漫画と千葉家の物語」という本についてでした。

これも何かの導きと、早速読んでみたのです。

ちばあきおのマンガと言えば、「キャプテン」と「プレイボール」。1972年、先に始まった前者は、当初「別冊少年ジャンプ」で連載されていました。当時、私は「週刊少年ジャンプ」を買ってもらっていましたが、書店に並んだ兄弟誌「別冊」が気になっていました。「週刊」の倍くらいある厚みで、読み応えたっぷりに見えたのです。

何かしらの策をこうじて「別冊」を買ってもらった私は、そこに掲載されていた「キャプテン」に驚きました。当時、野球マンガと言えば、「巨人の星」。少年ジャンプでは「侍ジャイアンツ」(1971年)、「アストロ球団」(1972年)と、現実離れした世界を楽しんでいました。それが、墨谷二中というどこにでもあるような学校の、谷口タカオという普通の中学生を主人公とした世界が描かれていたのです。

自分と等身大の人間が喜び、悩み、悲しむ世界は新鮮で、一気に引き込まれたのでした。1973年には中学を卒業し高校生となった谷口タカオを主人公とした「プレイボール」が「週刊少年ジャンプ」で連載開始、「キャプテン」の方は、谷口から代替わりしていくキャプテンの姿が描かれるようになり、我々ちばあきおファンは、2重の楽しみを得たのでした。

1978年「プレイボール」、1979年「キャプテン」は終了し、私も両ジャンプを読まなくなりました。ちばあきおは休業しているという話を耳にしました。私にとってのマンガ家ちばあきおは、そこで止まった幻の存在となりました。

時折、思い出したように「キャプテン」「プレイボール」の単行本を読み返していましたが、ちばあきおの活動再開、新作発表は視界に入っていませんでした。

1984年、ちばあきおは41歳という若さで他界します。その時に私は何を思ったか、よく憶えていません。ましてや、その裏側に何があったなぞ、知るよしもありませんでした。

私の中で止まっていたちばあきおのその後、夢中になった「キャプテン」の向こう側に何があったのか、この本はそれを知らせてくれます。

内容については、明日もう少し

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