掌編小説●【ある神経症患者の独白】



 札幌行きの便のロビーもようやく人が充ちてきて、横山悠太はのっそりと脚を組み直し、その上にまた途中東京駅で買ってきた弁当の袋を置く。


 せっかちというのか心配性というのか、飛行機の待ち合わせにはいつも出発時刻の1時間前には着いてしまっている。

 しかし、たまにはただ無為に過ごす時間があってもいいのだ、と悠太は思う。なにもかも無駄なく最大効率で計画通りに進んでいくなど、とても息苦しすぎる。

 もうひとつ、悠太が自分の癖として自覚しているのは、連想や暗示にとらわれやすいことだ。自分が、とくに理由もなく下した些細な判断をあとでよく振り返ってみると、その直前の出来事に引きずられていた、ということが、滑稽だがしばしばある。

 それが今回も出た。膝の上の弁当の包みがそれだ。これから出張だというのに、しかも目的地はおいしいものにこと欠かない札幌だというのに、包みのなかには東京駅で買ったJR線西明石駅の人気駅弁『ひっぱりだこ飯』が入っている。

 タコがとくに大好物だというわけではない。しかもタコ壷を模した陶製の器に入っているので持ち歩きしづらい。

 なのに東京とも札幌とも関係のない明石の名物タコ飯弁当、タコ壺入り。なぜこれを買ってしまったのだろう、いったいどこからタコが出てきたのだろう、としばらく考えた。

 わかった。「ブチ殺すぞこのターコ」だ。先ほど、空港までの途中、山手線内で若者同士の揉めごとに出くわし、1人の若者が多勢に無勢で袋叩きの憂き目にあいそうだったのを、ちょうどタイミングよく停車したホームの駅員を呼んでその難から逃れさせてやったのだった。

 そのときに走り去る汚い髭面の若者の1人が放った捨て台詞である。「ブチ殺すぞこのターコ」。それが耳に残っていて、偶然、東京駅の通路で販売店の前を通りかかったときに発動してしまったのだ。

 懲りない。耳にタコってやつか。違うか。うむ。そういえば人をボコボコに殴りつけることをタコ殴りともいう。

 新千歳空港から札幌まではJRシャトル便で約40分ほどで着く。座席は背もたれを前後にスライドさせて往復のたびに進行方向を向かせる方式で、3人以上のグループだったり面倒臭かったりで変えたくなければ向かい合わせの4人がけにする。

 座席に腰掛け、タコ飯弁当は今日の夜食だな、と思いながら顔を上げると目の前に痛々しい絆創膏姿の若い男と初老の女がいた。2人とも驚いた顔をしてこちらを見ている。

「あれ。さっきの、……」

 若い男がしごく中途半端な口の利き方をして、悠太から目を逸らさず頷くように頭を下げた。髪を一部青く染め、金のピアスをし、白いジャージの上下を着た、見るからにバカ息子である。たぶん。隣にいるゆったりした総柄のパンツかスカートと薄いブルーのジャケットの、不必要にきちんとした姿勢を保っている女を母親だとすれば。

 額の絆創膏に当てたバカ息子の右手の中指に第一関節をいびつに曲げてしまうほどの大きなタコがあって、これでも猛烈に勉強させられたのだろうなあ、と悠太は思う。

 自分はそんな受験の狂奔からさっさと降りてしまったから学生時代をノホホンと面白おかしく過ごしたけれども、高校時代の同級生から自殺者が2人、精神病の患者が4人出ている。金もコネも優秀なDNAもなければ命と引き換えにしても勝ち抜けない。

 おかげで悠太は高校の3年間を通して自殺するとき女は首を吊らないということを学んだ。

「先ほどはたいへんありがとうございました。おかげさまで大したことにならずに済みました」

 初老の女は疲れが滲む声で時代劇のようなセリフをいうと目を伏せた。思い出した。山手線で袋叩きにされそうになっていたのはこの息子だ。多少の傷は負っているけれども、女のいう通り大きな怪我はないらしい。それよりもさっきからのグネグネニヤニヤした態度のほうが気になる。

 すでに4月の末になっているので、こうして旅をしているということは、バカ息子の去就は今年も宙ぶらりんのままであるということだ。

「ご旅行ですか?」

 面倒臭がらず椅子の背を動かして反対向きに座ればよかったと悔やみつつ、少し気詰まりになったので 聞いてみた。

「この時期は桜を追いかけて2ヵ月くらい、ね」

 同意を求められた隣の席の若い男が迷惑そうに不貞腐れつつ頷く。その態度に腹を立てたのか、女が一気にしゃべりはじめた。

「なかなか思うようにいかなくて。進学が、ですね。こんなときに東京にいても息苦しいばかりですから、気分転換に。……パパもイライラしているので毎日顔を合わせなきゃならないのが嫌で、……」

 隣の若い男が座席の上で腰を滑らせ天井を仰ぐ。バカ息子だと諦めてしまえばいいじゃないですか、とほんとうに口に出してしまいそうになる。

 
 その代わりに胸の内で女が60歳くらいだとすれば息子を産んだのは40歳前後だが上手く40手前で産めただろうか、息子にしてみれば最初からプレッシャーのかかるポイントだったろうな、しかしダメだったろうな、勝負に弱い人生だな、と悪態を吐く。

 通路を黄色のワンピースを着てコートを腕にかけた肉感的な女が通り抜けていく。多幸症という言葉があったと唐突に連想する。

 ほどなくシャトルは札幌駅に着き、先に降りた、考えてみれば自称の親子と軽い会釈をして別れる。その向こう側をクラブの遠征なのかグリグリのタコ坊主頭の一団が歩いている。

 腹を空かすと自分の足を食ってしまうタコにはないといわれていた痛覚が実はあるらしいとわかったのはつい最近のことだ。ネットニュースで読んだ。

 そんなふうにあの母と息子らしい2人もただ逃げて自分の寿命を無駄に費やしているのだ。

                              (了)



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