掌編小説●【カメレオンマン】



 山下祐樹の母親は最後に見かけた4年前の印象よりもかえって若返っていた。しかもノースリーブのワンピースなどを着ている。ネックレス、イヤリング、ブレスレット、腕時計、バッグはいずれも高級そうで、オレは祐樹のとうさん、なにかで1発当てたのかな、と勘ぐった。


 息子の知り合いとはいえ20歳すぎの男と2人きりで会うのにまったくふさわしくない格好の祐樹の母さんは切々と訴えた。


 大学に入ってから息子の祐樹のようすがおかしい。心配だ。たとえば人に会うのを極端に嫌うようになり、こっそり化粧なんかもしているらしい。なにか悩みごとがあって心が病んでいるのか、それとももしかして性同一性障害だったのか。とにかくこのままおかしな方向に進んでしまわないか心配だ。1度会ってみてやってほしい。


 高校時代に山下祐樹が誰かと遊んでいるのを見聞きしたことはない。だからたまに口を利くくらいの間柄でしかなかったオレのことを祐樹は母親に友だちだと話していたのだろうか。


 そんなことでこちらにお鉢を回されても、と思ったけれども、祐樹の母親の美魔女戦法に惑わされて引き受けた。


「ありがとう。本当に突然呼び出したりしてごめんなさい。ぜひよろしくお願いします。……、じゃあ、また1ヵ月後くらいにこのお店でね」


 祐樹の母親がいい置いて立ち去った後の香水の甘い香りはいつまでも鼻先に残った。


 母親が急に色気づいたりすると息子はおかしくなってしまうものなのだろうか。そうともいえるしそんなことはないともいえるだろう。ただ確実に女を見る目は変わるに違いない


 祐樹は元気そうだったが、頭髪がなかった。眉毛もない。もともと色白なヤツだったから、そこに塗りたくればさぞ化粧映えがすることだろう。


「おまえ、最近メイクしたりしてるんだってな。おふくろさん心配してたぞ」


 突然呼び出した段階でなにかあると勘づかれているので、そしてそれはたぶん自分自身の最近のようすについてだろうと推測しているに違いないので、単刀直入に聞いた。


「別にメイクがどうのこうのっていってるんじゃなくてな。……、最近おふくろさんたちとあまり話ししてないだろう」


 多様性の時代だ。それなりの忖度はしてしまう。祐樹はペロンととっかかりのない両生類的な顔で、やさしく笑った。


「人に見透かされるのがイヤになったのさ。なにを考えているのか、どういう性格なのか、なにを望んで生きているのか、生きてきたのか。そんなものは全部顔に出る。それを見透かされるのがイヤなんだ」


 それは確かにそうかもしれないが、みんなそうしたなかでやりとりをし、生きているのだ。


「そういうノンバーバルな、言葉以外の表情とか仕種とかの表現も大切なコミュニケーションのひとつだけどな」


「自分自身でコントロールできないものはオレはイヤなんだ」


 そいつはちょっと自意識過剰ではないか、といいかけてやめた。


「いつもよっぽどなことを考えてるんじゃないの」


 冗談のつもりだったが癇に障ったらしい。


「ふてぶてしい君が羨ましいよ」


 かっとする気持ちを抑えて、でもまあ、あまりおふくろさんを心配させないようにな、とかなんとかいいつくろってその場は別れた。


「祐樹くんのこと、あまり気になさらなくてもいいと思います。遅れてきた思春期みたいなものです」


 山下祐樹の母親への報告は、まったくありきたりな、味気ないものになった。


「そうですか。でも、……」


 電話口で山下ん家の美魔女がグネグネしているようすが伝わってくる。


「でも、ね。真司クン、あの子いまは頭を剃り上げていますけれど、ときどきオールバックや七三分けのウイッグを被るんですよ。目出し帽をかぶるときもあります。それでその頭の前はモヒカンっていうんですか、真ん中だけ伸ばして立てていて、その前は長髪で赤だとか青だとかに染めて、その前はツンツンヘアーっていうのかアライグマみたいな、……急にボディビルをはじめたり、いくらなんでもおかしいとは思いませんか」


 いや、それよりいきなりの真司クン呼びのほうが怖い。


「彼女さんでもできればすぐにおさまると思います」


 電話の向こうであはーんというような溜息のような微妙な声が聞こえ、オレは山下のとうさんにもっと頑張れといいたいようなひどく暑苦しい気持ちになった。


「どなたか紹介してくれないかしら。祐樹にふさわしい女の子」


 いや、そんなに女の子の知り合いは多くないので、と断っても山下のかあさんは引かなかった。以前からこうして強引で押しが強く厚かましかったのだろうか。そしてそのことは山下祐樹の精神にどのような影響を与えてきたのだろうか。


 あれやこれやと煮え切らない問答を繰り返した挙句、オレと山下祐樹にオレの大学の軽音楽部の女子2人を加えた4人で食事会をすることになった。もちろんすべて山下美熟女マダムのおごりで。マダムの出費を除けば誰も損をすることのない話である。


 2週間後、以前、約1ヵ月半ほど前に山下美熟女マダムに呼び出されたカフェで、オレと女子2人は山下祐樹の登場を待っていた。


 女子には今回のなりゆきとそれを招いた山下祐樹の自意識過剰についてざっくり話しておいたから、山下祐樹がどんな姿で現れるのかがもっぱらの関心のマトだ。


「スキンヘッドにトゲのついたチョーカーとか、ハードコア系のパンクスだと思うなあ。やっぱり」


 軽音楽部ではボーカリストとして2つのバンドを掛けもちしているオレの彼女がいった。


「そういう人とお寿司っていうのはなかなかシュールよねえ。鋲のついた黒の革ジャンとかやめてほしいわ」


 ハワイアンバンドのベースを担当している彼女の友人が遠慮なくいい放ち、今夜はご馳走を奢ってもらえるのだから我慢しなさい、とたしなめられる。


 約束の時間に山下祐樹はやってきた。というか、最初我々のテーブルの横に立ったのは完全なる不審者だった。なぜなら虚無僧の格好をしていたからだ。


 藍色の着物におもちゃの刀を指し、頭には深編笠を被っている。手に握っている竹製の棒状のものは尺八に違いない。いや、誰がどう見たって尺八だ。


 あとで調べてわかったことだけれども、虚無僧というのは禅宗の一派、普化宗の修行僧で、尺八を吹いて悟りをめざすのだそうだ。


 尺八を吹いて悟りをめざす。


「かっこいいサンダルを履いてますね」


 呆気にとられ、いささか戦慄してもいるオレと彼女とは違い、彼女の楽友は虚無僧の足元を見てざっくばらんに話しかけた。


〈かっこいいサンダル〉とは、底の厚い草鞋のことだ。それにしても虚無僧とは他人の目から逃れるのにはこのうえない格好ではある。


「山下か?」


 虚無僧は深編笠でうなづいた。


「これぞ」


 編笠のなかから声がしたような気がしたが、実際はどうだったのかわからない。


 山下祐樹がほんとうに顔を見られるのが嫌さのあまりにこのような格好をしたものか、それともこのときは冗談のつもりだったのか、それもいまでもよくわからない。


 しかしいずれにしても、同年代の女の子2人が同席するという、おそらくいまだかつてなかったはずの華やいだ状況は少なからず影響していたはずだ。


 結局、山下祐樹はこの日ひと言も発せず、ただ黙々と食べ、飲んで帰っていった。そしてなんとこの日以来、忽然と姿をくらませてしまったのだ。


 山下の美熟女マダムは目を釣り上げてオレをなじったけれども、女の子を紹介しろといったのはマダムだ。それに女の子たちは4人で食事をしたあの夜の1回しか山下祐樹に会っていない。誘惑などしたわけもない。


 いまごろ山下祐樹は虚無僧姿でどこかの街の辻に立ち、托鉢に勤めているのかもしれない。母親の目からも逃れて。 

                              (了)



次回もお楽しみに。投げ銭(サポート)もぜひご遠慮なく。励みになります。頼みます。



無断流用は固くお断りいたします。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?