ショートショート 1分間の国 ◎【おばあさんと黒髪】
50年ほど前は新興住宅地だったという私の実家界隈も、いまやほとんどが代替わりするかまったく別の人に持ち主が変わるかして当時の面影が消えつつある。
そのなかで実家の東側の小路を挟んで両側50メートルほどに並ぶ家々には初代の方々が残っていて、私はここを未亡人通りと呼んでいる。ほとんどのみなさんが夫を亡くされて、当主はおばあさん、そして一人暮らしである。
「佐々木さん、昨日だか一昨日だか病院へいってきたらしいわよ」
「あら」
「眼が悪くて、白内障だったんですって」
あら、と応じたおばあさんの、なんだ白内障か、と少し落胆したようすが声にも隠しようがなく、2階の私の部屋まで這い上ってくる。
外の声は上に登る。だから窓を開けていると、ささやかな実家の庭で祖母と近所の未亡人の誰彼が興じている立ち話がよく聞こえる。
彼女たちの興味の対象はなんといっても高齢な知り合いの健康状態であり、その次にその家族の動向であり、それからお金だ。いつのまにか姪っ子に貯金をほとんど全部ひき出されていたんだって、とかなんとか。
そういえば祖母と近所のおばあさんのなかの一人が冗談で「絶交だ」といい合っていたのをどこかで聞き耳を立てていたこれまた別のおばあさんが真に受けて、翌朝さっそく「なにかあったんですか」と好奇心いっぱい、輝く眼をして飛び込んできたこともあった。
健康状態の話でもいちばんおいしいらしいのは近所の知り合いの誰それが入院したときで
「それはたいへんねえ」
などとしおらしく同情しつつ、その舌の根も乾かないうちに
「この年で入院なんかしたらもう絶対に戻ってこられないものねえ」
と深刻な話題に華やいだいいかたをしたりする。
そういう、生と死のはざまの毎日を生きる未亡人たちの一人、実家の隣のおばあさんの姿が、忽然と消えたことがあった。
心配になった私の祖母も近所のおばあさんと連れ立ってようすを窺いにいったけれども、家には誰もいなかったといっていた。
しかしいたのだ。隣のおばあさんはダイニングでなにかにつまづいて転び、そのまま起き上がれなくなっていたのだ。福祉関係の人が訪ねてきて床に転がっているおばあさんを発見したのは倒れてから5日後のことだったそうだ。
「私らが見にいったときもそんなんで床に寝転がったまま必死に奥から呼んだらしいんだけど、なにしろこっちは二人とももう耳が遠いからさ」
と祖母は半笑いの顔をしていた。発見されるまでのあいだ、隣のおばあさんは転んだときにちょうど昼食がわりにと持っていた菓子パン1つで凌いだのそうだ。
救急車で病院に運ばれた隣のおばあさんは腰を骨折していてそのまま入院することになった。未亡人たちの描くシナリオの運びである。
「もうダメだわねえ」
といちおうは寂しがる祖母の付き添いでお見舞いに行った。
ベッドに寝ている隣のおばさんを一目見て驚いた。もともと大柄ではない人がさらに縮こまってしまっていて、仰臥したベッドの膨らみがわからないほどになっている。
しかしそれよりも衝撃的だったのは髪の毛が真っ黒で太く、バリバリと針山のように生え茂っていたことだ。まるでモンチッチそのままに。しかも体調が悪いのになぜか艶々としている。
おばあさんはいつもベレー帽かスカーフかを被っていたのでこのときまで気づかなかった。というか、隠していたのだろう。いつまでも立派な髪なのは恥ずかしいという考えがあったのかもしれない。
しかし私は、きっとおばあさんはこの髪の毛に生かされていたのだなあ、とおかしなことを思った。このバリバリの黒髪こそ、80歳にして腰の骨を折る重傷を負いながらも菓子パン1つで5日間も生き延びるしぶとい生命力の源泉ではないのか。
いや、このモンチッチのようなハリネズミのような黒髪こそが、おばあさん本体だったのかもしれない。
隣のおばあさんは界隈の見立て通り、入院から半年を待たずに亡くなった。私の祖母はその長年の隣人の死について特別なにかを語るでもなく、淡々としたようすで葬いに出かけていた。
時は移り逆らうことはできない。諦念とはまた違う静かな認識というか覚悟のようなものがそこにはあった。
しかし私は、隣のおばあさんの姿こそ見えなくなったけれども、あのハリネズミのようなモンチッチのような黒髪だけは、いまでもどこかでまだ生きているような気がしてならないのだ。
(了)
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