2回目の月命日を迎えました
皆さんこんにちは。
昨日11月14日に、息子の2回目の「月命日」を迎えました。
旅立ちから2ヶ月、本当に時が経つのが早いです。
特にこの1ヶ月は一瞬にして過ぎていき、初月命日が昨日のことのように感じます。
今月の頭には「四十九日」という節目も迎え、夫婦としても落ち着いた日々を送っています。
少し前までは、私自身の感情の波も小さくなり、このまま戻っていくのだろうと思っていましたが、ここ数日また波が大きくなったり、大勢の輪の中で過ごすとどっと疲れが出たりと、まだ完全回復は至っていません。
(そもそも完全回復という概念があるのかも定かではないですが…)
今日に至るまで、出来るだけ感情を押し殺さないようにして、
「泣きたいときは泣く」
「想いを吐きたいときは吐く」
といったことを、夫婦でしてきていますが、それでもどこかで制御していた部分があったと感じます。
私も妻も、長男長女であり、心のどこかで
「泣いてはいけない」
「気丈にしなければならない」
「我慢しなければならない」
と、無意識に自分に言い聞かせているようで、育った環境、もっと言えば「我慢は美徳」というような “日本の文化” 的なものも、多少なりとも影響があるかもしれないなと感じます。
…まぁ、私たち夫婦は、世間一般の長男長女と比べると、しっかり者でもないし、我慢強くもなく、感情出しまくりタイプの兄姉なんですけどね(笑)
あとは、何となく思うのが「防衛本能」です。
「泣く」ということは、凄く労力を使いますし、心も身体もすこぶる疲弊します。
それを無意識に回避しようとしていたのかなとも思います。
そんなことを思う旅立ち後2ヶ月です。
そんな中、つい先日、息子がお世話になった大学病院から、息子へのメッセージカードが届きました。
病院とは、息子が旅立った後も何度かコンタクトを取っており、外科より治療の全過程の説明や、心理士によるグリーフケアなども対応してくれていました。
そして前回のグリーフケアの際、妻が心理士に息子へのメッセージをお願いしていたようで、心理士が中心となって医療チームの皆さんが書いてくれたとのことでした。
私は全然知らなかったので、これはサプライズでした。
凰理の頑張り、家族の愛情、そして最後に起こした奇跡のことを書いて下さって、本当に嬉しかったです。
そして、妻と息子と歩んだ日々の記録も、今日から【手術編】に入ります。
前にも書きましたが、「四十九日」前には終わるだろうと思っていましたが、思い出しながら書くと、話しが逸れたり感情が蘇ったりで段々と長くなり、気づけば「50投稿」を超えていました(笑)
おかげさまで、全体ビューも先日「10,000PV」を超えました^^
(いま12,000PVくらいかな?)
noteのビュー計算は少し特殊なため、実際どれだけの人が閲覧しているかはわかりませんが、スキやコメント、フォローは本当に励みになり、執筆するエネルギーになります!
本当に心から感謝申し上げます。
改めまして、今後とも宜しくお願い致しますm(__)m
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