見出し画像

大丈夫【くらしかるブッディズム】vol.10

【くらしかるブッディズム】は、昔から使われてきた仏教の言葉を、いま再び見つめ直すコーナーです。

第10回は、「大丈夫だいじょうぶ」です。


大丈夫だいじょうぶ

「大丈夫」という言葉はとても便利で、日常のさまざまな場面で使われますね。

「あの人なら任せても大丈夫だろう」とか、「ここ座っても大丈夫ですか」とか、茹でているじゃがいもに竹串を刺して「そろそろ大丈夫かな」とか…

じゃあ、どんな意味で使っているのかと言うと、場面の違いこそあれ、大体は「心配ない」とか「問題ない」という意味で使われていると思います。

それでは、仏教のお経典のなかではどのように使われているのでしょうか。

私自身が、仏教の勉強をし始めた時(二十歳くらい)の経験として強く印象に残っているのは、「仏の十号」です。

「仏の十号」とは、仏さまの徳をたたえる10の称号です。「如来にょらい応供おうぐ等正覚とうしょうがく明行足みょうぎょうそく善逝ぜんせい世間解せけんげ無上士むじょうし調御丈夫じょうごじょうぶ天人師てんにんし仏世尊ぶっせそん」となります。

このなかの「調御丈夫じょうごじょうぶ」とは、「人を指導することにたくみな者」という意味なのだそうですが、そうなると「丈夫じょうぶ」というのは「優れた人」とかそういう意味なのだな、と、当時の私は思ったわけです。それまで「丈夫」という言葉は「(ものの)作りがしっかりしていること」とか、「(人の体が)簡単にはケガをしたり病気になったりしないこと」だと思っていたので、「丈夫」がそのまま「人」を指す言葉だったというのが意外でした。

そこから、「じゃあ、「大丈夫」って言うのは、ものすごく優れた偉大な人ってことか…」となり、従来の「丈夫」のイメージに引っ張られて、とても背の高い、がっしりした、用心棒みたいな人を想像したことも、今となっては良い思い出です。

法華経には「調御丈夫」はたくさん出てきますが、残念ながら(?)「大丈夫」は出てこないんですよね。

ただ、インターネットで「大丈夫 仏教」と検索すると、涅槃経に「大丈夫」の用例がある、と出てきます。さらに、SATという漢訳仏典検索サイトで検索すると、涅槃経だけでなく、とんでもない数のお経典のなかの「大丈夫」の用例が、無数に出てきます。

そのなかに、「三十二大丈夫相さんじゅうにだいじょうぶそう」というのがありました。「三十二相さんじゅうにそう」というのは仏さまがそなえている32の身体的特徴のことなので、「三十二大丈夫相」は「32の大丈夫(=仏さま)の身体的特徴」という意味でしょう。

いま私たちが使っている「大丈夫」という言葉の意味は、もともとの意味からは少し離れてしまっているかもしれませんが、不安な時に「大丈夫だよ」と言ってもらえた時の安心感は、本来の「大丈夫」の頼もしさと通じる部分があるようにも感じます。

余談:『孟子』に「大丈夫」が出てくる?

ところで、「大丈夫」という言葉の意味を調べていると、「仏教由来の言葉である」と説明するページのなかに、「中国では立派な男子のことを「丈夫じょうふ」と呼んだ」と説明するページが散見されます。

ちょと詳しく調べてみますと、『孟子もうし』という中国の古典のなかに、すでに「大丈夫」の用例があるようなんですね。

『孟子』の成立年代は紀元前4世紀頃と言われています。中国に仏教が伝来したのは紀元前後だろうと言われていますので、仏教が伝わるよりはるか昔に、中国では「大丈夫」が使われていたということになります。

ですので、インドから伝わってきた、サンスクリット語で書かれている仏典を漢訳するときに、もともと中国にあった「大丈夫」とか「丈夫」という言葉が使われた、ということなのかもしれません。


今回の記事は以上になります。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

それでは、また。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?