MTPE力の進化は翻訳力の退化か ~CATツールの導入とMTPEの台頭を振り返って~
こんにちは!翻訳ジャーニーです。
私はほとんどMTPEについて書かないんですが、ふと思ったことがあるので筆を執る(キーボードをたたく)ことにしました。思いつくまま書いていますので、まとまりに欠けることを先にお詫びします。
#1 CATツールの登場と弊害
超ベテランの方の中には特に、CATツールを使わないという方がいらっしゃいます。TMによる値下げがいやだという理由だったり、文脈が読めないので翻訳しにくいという理由だったり、あるいはそれ以外にもあるかもしれませんけれども。
#1-1 CATツールの登場
私が翻訳を始めたのは2000年代の中ごろでした。CATツールが産業翻訳の現場レベルに浸透し終わった時期と重なるのではないかと思っています。おそらく、今よりも多くの人が「CATツール反対!」と言っていたような印象があります。私はツールなしでの実務をしたことがなかったので、特に何の抵抗もなくCATツールでの仕事を始めました。その方が仕事の幅が広くなりますし、そういうものだと思っていたからです。
値下げの問題やTM運用の問題を脇に置けば、CATツールの問題は文脈が見えにくいことです。パラグラフ単位で存在していた原文をセンテンス単位に細切れにしてしまい、翻訳の全体像や流れがつかみにくくなってしまうのです。一方で、文レベルでは原文との対比が見やすかったり見直しやしやすいという利点もあります。
文脈が見えないという弊害は、人間がレイアウトを見ながら仕上がりをイメージしたり、最終的な訳文を生成してレイアウトを組んだ状態の訳文をモノリンガルレビューすることでカバーしています。
訳文プレビューは私の中ではマストステップで、InDesignのファイルを訳文プレビューするためにAdobeのプランに加入しているくらいです。これをせずに納品するのはとんでもないことでございます。
#1-2 木を見ていた翻訳者、森を見ていたレビュー担当者
あ、話はそれますが、訳文をレイアウトに載せた状態でモノリンガルレビューをしていない翻訳というのはすぐにわかります。いわゆる Cohesion and Coherence(結束性と一貫性)に乏しく、特に Cohesion の点でつながり、流れ、筋、糸のようなものがちぐはぐです。レビューをしているとこうした訳文も普通に見かけます。CATツールの弊害をモロに食らったままの訳文ですね。
で、流れがおかしいので修正してエラーを付けると反論が返ってくることがあります。翻訳者の言い分をざっくりまとめると「原文と訳文は一致しているのだからエラーではない」という反論です。私としては、パラグラフという文脈の中の流れを考えたときに「その訳し方では流れがつながらない」と思って変更します。その際に簡単な説明を書いたりレイアウトが分かるようなスクショも添えたりするのですが、このような反論を書いてくる人とはいつまで経っても議論がかみ合わずに平行線になります。センテンスレベルでしか原文と訳文が見えていない人と、パラグラフ(あるいはドキュメント)単位で意味のまとまりと流れを見ているレビューアではコミュニケーションが成り立たないのも当然かもしれませんが。いうなれば、木しか見ていない翻訳者と森を見ているレビュー担当者の会話、といった具合でしょうか。
#1-3 機械の不備を人間がカバーする
本題に戻ります。つまり、CATツールがテキストを細切れにする問題は、翻訳者の脳内で(あるいはプレビューで)再構築するという作業によってカバーできるし、カバーするべきことだというのが私の理解です。
もちろん、そもそもCATツールを使わない仕事をするというのも選択肢です。
#2 MTPEの登場と弊害
この10年でMTの質は恐ろしく上がりました。私の観測範囲ではMTPEの仕事はわずかですが、翻訳をこれから始める or 始めて間もないという方々の口からMTPEという言葉を聞かない日はないというほどに浸透していると感じます。
#2-1 MTPEを私はやらない。
私はすでに普通の翻訳で収入を得ていて、家計を回しています。この10年ほどを振り返って、仕事のない日はありませんでした。休暇の時期を除いて、必ず対価の発生する仕事が手元にある状態です。なので、あえて報酬の低いMTPEをやってみようという気にはなれません。1年に1回くらいは定点観測のつもりで手を出してみますが、それくらいです。
これはちょうど、20年ほど前に私が見た「CATツールの仕事はお断りだ!」と言っていたベテランの方と状況が似ているのかもしれません。同様に、これから翻訳を始める人や始めてから日の浅い人にとっては、すでに目の前に並ぶMTPEの仕事にあまり抵抗がないというのも(当時の自分を振り返ってみれば)わかる気がします。
#2-2 つながりをぶった切ってくるMTちゃん、つなげたがりのHTくん
私が珍しくMTPEの仕事を請けたとき、私(翻訳者)とレビュー担当者の間でちょっとした意見のやり取りがありました。
そのMTPEでは「人間翻訳と同様の仕上がりにする」という要求事項がありました。私はこれを「テキストの流れを意識した訳文にする」と解釈しました。
私が納品した訳文は、次のような感じでした。あくまでイメージです。
納品後にレビュー担当者から次のような修正が来ました。【】を付けた太字の部分が追加された部分です。エラーカテゴリは Accuracy(正確性)、サブカテゴリは Omission(訳抜け)です。
ぬお!っと声を出して驚きました。
たしかに原文には「当社」に相当する語が入っていました。当初は私も訳出していたような気もします。ただし、最初の突き合わせチェックを終えてから、レイアウトに載せたモノリンガルレビューをした際、前の文で「私たちABC社は、」と書いているので、次の文の「当社」を意図的に抜いたような気がします。日本語人がゼロから書いたときには、どんな風に書くだろうか?とイメージしながら手を入れたのだと思います。
人間翻訳の品質に仕上げるという要件を踏まえて、森を見たつもりだったのですが……。センテンス単位でのみチェックした場合にはOmissionとしてカウントされてしまうのですね。
そのほか、レビュー担当の方の指摘は機械的なものが多かった印象です。たとえば「2通り」と書いたものを「2とおり」に直して、スタイルガイド違反としてエラーを取るようなイメージです(実際の内容とは異なります)。スタイルガイドには詳細は書いていませんでしたが、ガイド全体から推測するには「次の通り」という漢字表記を禁止しているように見受けられました。こんな指摘がほかにもちらほらあったので、そのお仕事を継続して受けることは止めましたが。
#3 MTPE をやる場合は意識の切り替えが必要では?
と、私の失敗談を踏まえてこんなことが言えると思います。まずはお客様の期待値を理解しましょう、という話です。まぁ、これはどんな場面にも言えることです。先ほどのお仕事ではモノリンガルレビューはむしろやらないほうがよいのかもしれません。
そもそも、本当の意味で人間が仕上げたような訳文にしたいアカウントがMTを使うかと言えば、これはかなり怪しいですよね。「正確性はもちろん、一定の流暢さを確保してほしい」を端的に表現したのが「人間翻訳の品質でヨロシク」だと理解するようになりました。本当の意味でプロ翻訳者が仕上げたような訳文にするには、はやりMT出力をすべて消してから訳文を書く必要があるので。
で、MTPEをやる場合の頭の切り替えについて。
MTは基本的に文脈や前後の文とのつながりを読む力がありません。対象ドキュメントがどのカテゴリに属しているのかはよく理解しているようですが、その次の文で主題となるモノを別の単語で言い換えている、などは読み取っていないようです。
結果的に、仕上がった訳文は「筋(すじ)」がブツブツと切れています。そのままでも通じると言えば通じますが、人間がゼロから書いたテキストとは少し違う匂いがします。その「違う匂い」というのはきっと、切断された糸の断面から立ち上っているような気がするんですよね。
#4 MTPEをやると翻訳力は退化するがMTPE力(仮称)は進化するのでは?
MTPEをやるときには、仕上がった日本語の流れに結束性が足りていないことを理解しておくことが大事だと思います。経験が浅く、MTPEの作業からキャリアを積み、将来的にはMTPE担当者ではなく翻訳者になりたいと考えている人は特に、「これが翻訳だ!」と思わない方がよいでしょう。その感覚で仕事を続けていると、前の文と次の文をつないでいるかすかな糸を見る視力が落ちたり、パラグラフ単位での論理構成を感じる嗅覚が衰えて、センテンスレベルでしか原文と訳文を突き合わせることができなくなってしまうかもしれません。MTPEをやったあとに、「翻訳力が退化した」と感じる人が多いのはここにも原因があると思います。
一方で、MTPEを仕事として成立させるためには、むしろその退化は進化と呼べるかもしれません。センテンスレベルで正確性のエラーのない仕上がりにし、センテンス内で一定以上の流暢性を確保していく。しかも一定以上の速度で。こうしたMTPE技術は、ある部分では翻訳力とは別のベクトルに向いていますね。経験の浅い方がMTPEで翻訳力を鍛えて、そのあとでHT翻訳者になろうという場合は、この違いを意識しておいた方がよいと思います。
あぁ。結局、偉そうな話になってしまいましたね。スミマセン😫
今日のところはこのへんで。アディオス!
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