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翻訳に正解はない、だから面白い

以前お話しした、映像翻訳の勉強はなんとか続いています。

あれから数回課題を提出しましたが、悲しいかな、一度も良い評価はもらえていません…。

同僚に言われて気づいた、翻訳の本質

自分の映像翻訳センスのなさについて職場でぼやいていたら、同僚はサラリとこう言い放ちました。

でも、訳し方に正解はないんでしょ?

この同僚の一言で、私はハタと膝を打ちました。

そう、翻訳に唯一無二の正解はないのです!

翻訳とは、突き詰めれば、正解のない問い(原文)に対する、自分独自の解釈の表明なのではないか、と気づきました。

訳し方のいろいろ

たとえば、「I have an apple.」という1文があったとしましょう。
これをどう訳すか。

教科書的な和訳として、
私はリンゴを持っています。
というのが思い浮かぶかもしれません。

しかし、前後の文脈その他の状況から判断して、
ここにリンゴがある。
と訳せる場合もあるでしょう。

また、リンゴをひらがなの「りんご」や漢字の「林檎」、場合によってはカタカナの「アップル」と書いても、間違いではないわけです。

こんなシンプルな英文1つとっても、複数の訳例が考えられるわけですから、これが本1冊分の文章となったら、翻訳のパターンはそれこそ無限にありうるということが、分かっていただけるのではないでしょうか。

絶対の正解はないが、良い翻訳はある

翻訳に唯一無二の正解はないと書きましたが、良い翻訳とそうでない翻訳、つまり翻訳の巧拙というのは、確実に存在します。

何をもって「良い」とするかは人それぞれなので、定義づけが難しいのですが、私自身はいまのところ、「可能なかぎり反論の余地の少ない訳文」を「良い翻訳」と定義し、それを目指しています。

とはいっても、どうしても意味の分からない文章というヤツにも頻繁に遭遇しますので、なかなか一筋縄ではいかないのですけれども…。

ちなみに、この定義はあくまで私の専門分野である金融翻訳に限っての話です。読者にさまざまな解釈の余地を与えるために、あえて抽象的な訳語をあてて含みを持たせるという場合も、特に文芸などの分野では十分にあり得ますから。

皆さんにとって「良い」翻訳とは、どんな翻訳でしょうか?

正解がないからこそ面白い

翻訳のプロセスは、1枚の絵画が伝えようとしているメッセージを、自分なりの方法で表現しなおす行為に似ていると思うのは、私だけでしょうか。

原画が意味していることが、鑑賞者(読み手)にうまく伝わるのであれば、使う画材の種類は問わない。油絵具でも水彩絵具でも、クレヨンでも、パステルでも、色鉛筆でも、サインペンでもいい。

表現方法は無数に存在しうるし、上手い下手も人それぞれ。でも、出来映えに正解はない。

これが、翻訳の魅力の1つだと思っています。


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