死んだ新井と生きてる新井
キスしてくださいと、キスしてもいいですかだったら、どっちが怖くないだろうか。
怖がられる可能性を考えている時点で、だいぶ無理をしようとしていることがわかると思うが、私は本気である。
今、ものすごく、してみたい人がいる、キスを。
これは500日にいっぺんくらいやってくる抑え難い衝動で、特に夜中、ビッグウェーブがやってくる。もういてもたってもいられなくて、サーフボードがあれば担いで砂浜に駆け出しそうだ。そのまま遭難してしまえ。
じっとしていると胸の奥がつままれるように苦しくなる。布団の中でモゾモゾしていると(変なことはしていない)、制御できない妄想により、もっと胸がギューッとなる。
私がこの国の要人で、心拍をモニターしている人がいたなら、ニトログリセリンを持って駆け込んでくるだろう。心臓が痛い、比喩ではなく。
いっそのこと、ねえねえと手招きして、勝手にしてしまおうか。
しかし、寸前で逃げられた場合、一体どのように取り繕えば笑い話になるのかがわからない。まぁ、絶対ならないだろう。
前回の発作時、なんとか相手を小部屋に連れ込むところまでは成功したが、思わぬ上司の邪魔が入ってしまった。あと3分あれば、悲願は達成しただろう。
しかしひとたびウェーブが去ると、どうしてあんなにしたいと思ったのかがちっともわからないのだから、私という人間が恐ろしい。その理不尽さに、まず私が付いていけていない。
ただ、その衝動があろうとなかろうと、唇と唇を重ね合わせることで自分がどんな気持ちになるのかへの興味は、常に尽きることがないのである。
コピーライターの佐々木圭一氏による著書『伝え方が9割』には、失敗しないデートの誘い方が書いてあった。
「AとB、どっちがいい?」と聞かれると、行かないという選択肢があるにもかわらず、人はついどちらかを選択してしまう。
デートに誘いたい相手には「食事に行きませんか?」ではなく、「すき焼きとしゃぶしゃぶ、どっちがいい?」という風に聞けば、成功の確率が上がるというのだ。
それなら「するのとされるの、どっちがいい?」と聞けば、したくないという選択肢に気付かず、少なくともどちらかを選択するので、つまり結果として私はキスができる、ということにならないか。
いや待てよ。
すき焼きとしゃぶしゃぶでは、どちらも魅力的すぎる。実際、私には選べない。
するのとされるのが魅力的かどうかはさておき、ちゃんとどちらかを選んでくれないと困るのだ。
「死んだ新井と生きてる新井、キスするならどっちがいい?」
よし、これなら選べるだろう。
僅差かもしれないが、前者より後者の方が絶対にマシである。
もはやそれは小学校の頃流行った、カレー味のナントカ的な「究極の選択」だ。
(絵:まんしゅうきつこ)
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