腐る程された質問に今さら答える
インタビューに限らず、商談で、飲み会で、腐る程されてきた質問がある。それなのに、今に至ってもまだ、上手く答えることができない。
ひと月に何冊くらい読むんですか?
1冊なのか100冊なのか、わからない。ひと月につぶグミを何粒口に入れるのかわからないくらいわからない。
だが、クリープハイプのアルバム「世界観」に収録された「バンド」という名曲で、そういう質問に《今更正直に答えて》いる姿がかっこ良く、私も今からそれに倣う。
読みたい本を読みたいときに読みたいだけ自分のためだけに読み、読みたくなければ読まないという享楽的な読み方をしていると、それをカウントしようという発想が湧かない。
とタイプする私の指は今、缶詰ホワイトアスパラのようにふやけている。ついさきほどまで、1キロ買い込んだ泥だらけのらっきょうを1粒ずつ洗い、根を切って、薄皮を剥いていたからだ。
黙々と続けていたら、小一時間で下拵えは終わっていた。
もし「すごいですね。何粒くらいあったんですか?」と聞かれれば、私はまた、うまく答えられないだろう。
その間に「バンド」を何回リピートして聴いたのかわからないくらい、わからない。
しかし、ジェーン・スーさんの影響で始めたスクワットは、1日20回だ。15回目以降が本当にキツい。18…19…20!
だから、聞かれなくても答える。「スクワットは20回もやってます!」(も?)
つまり、何かの行為をカウントし、数字で強く記憶するときは、少なくとも私にとっては、楽しくない、または相当な努力を伴うときだけなのだ。
その証拠に、週1で通うかっぱ寿司の食べ放題で何皿食べているのかも、記憶にない。私はフードファイターではなく、くいしんぼうだから、満腹になれば箸を置く。
カウンターで並んだ客から、すごいですね、と言われたときに感じる違和感が、あの質問にはある気がする。
答えが何冊でも、正しく理解されない予感しかない。
それが私の口をもごもごさせる理由なのだろう。
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