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『グレ-プフル-ツ・ジュ-ス』 – 日めくり文庫本【9月】

【9月9日】

第二次世界大戦中、田舎に疎開しているとき
だんだん食べるものがなくなってきました。
いつもは活発な七歳の弟が、なんとなくしょげている顔を見て、
私は胸が痛い思いでした。
「ねえ、何が食べたい? いちばん食べたいものは何?」
弟はちょっと驚いたような顔をしました。
「おいしいお献立を考えましょうよ。
私は豚汁とミートローフがほしいわ。
それから、デザートはショートケーキ」
「ぼくは、アイスクリームの方がいいな」
「じゃあ、アイスクリームとショートケーキと両方にしましょうよ」
少し元気をとりもどした弟は、早速このゲームに参加して
笑いながらおいしいものを次々とあげました。
「そんなに食べたら、おなかこわしちゃうわね」
「うん」
「なんだか、おなかがいっぱいになったような気がしない?」
弟はおどけて、でんぐり返しをしてみせました。
おなかがいっぱいで、もう大丈夫だというように。
私は今でも、そのときのことを時々思いだします。

今はもう、勇気づけのために
架空のメニューなど作る必要のない時代になりました。
でも精神的には、どうでしょう。
みんななんとなく物足りなく、おなかに風が吹いているような
何かに飢えているような気持ちで暮らしているのではないでしょうか。
習慣的な生活だけでは、たまらない。
何か新しい行為を人生につけ足したい。
それが架空のメニューであるとしても……。
そういうふうに思っているあなたのために
『グレ-プフル-ツ・ジュ-ス』を書きました。
今回、五〇ほどのグレ-プフル-ツ・インストラクションに
現代を代表する写真家が、おのおの素晴らしいインスピレーションをつけ加えてくださり
こんな美しい本になりました。
ほんとうにうれしい思いです。
     オノ・ヨーコ
     ニューヨーク似て、一九九三年

——オノ・ヨ-コ『グレ-プフル-ツ・ジュ-ス』(講談社文庫,1998年)6 – 8ページ


1971年9月9日にアルバム『イマジン』がリリースされる直前、ジョン・レノンとオノ・ヨーコさんは活動の拠点をニューヨークに移して、グリニッジ・ヴィレッジのアパートで暮らしはじめます。
「想像しなさい。」の原点は、幼いときのこんな記憶にあったんですね。

/三郎左

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