あなたの存在は、あなたが思っているよりも誰かを救っているときがある。
上の階の方が、お引越しのご挨拶に来てくれた。
デジャブ??
ではないのです、本当にまた来てくれたのだ。
先日の方とはまた別のお部屋の方が。
小さなお子さんを二人連れた奥さんがご挨拶に来てくれた。
なんでも転勤族らしく、ご主人の仕事の都合上せいぜい長くても3年で異動になってしまうそう。
今のアパートもちょうど2年で、やっと慣れてきたと思ったら・・・だったようだ。
ご主人は普段帰りが遅く、今回の引っ越しの荷造りもほとんど奥さん一人でやっていたそう。
子供2人を見ながら大変だっただろうなあ・・・。
ここからは私お得意の妄想。
転勤族、そして二人目のお子さんがまだ生まれて間もないところを見ると、
奥さんは少なくともこの2年間きっと外で働けなかっただろう。
仕事もできず、ずっと子供と家にいる。
周りには頼れる人もいなければ、心許せる友達もいない。
どれだけ辛かっただろう。
想像するだけで、痛いほど気持ちがわかる。
いや、わかるなんて言ったらおこがましいだろうか。
知り合いもいないこの土地に引っ越してきて2年、子持ち、という点では似ているが、私には幸い夫の家族が近くにいた。
たくさんたくさん助けてもらっているけれど、
それでも辛い時は辛いし、全部を捨てて地元に帰ろうかと思ったことも何度もある。
私がしんどいと思っているとき、同じアパートの2階の部屋で、
この奥さんもしんどいって思っていたのかな。
そう思ったら、もっと早く話したかった、と思った。
友達になろう!とまではいかなくても、たまに外で顔を合わせた時に、
なんでもない会話をするだけでも、少なくとも私の心は違ったと思う。
ああ、私だけじゃないんだ。
同じ時に、同じ思いをしている人がこんなに近くにいるんだって、
そう思えるだけでも救われることってきっとある。
近所のおばちゃんおじちゃんたち、
いつも犬の散歩をしている人たち、
小学生の子どもたち、
保育園の先生、
同じ保育園に通うママさん、
コンビニの店員さん。
名前は知らないけれど、会うといつも話す人たち。
本当ね、なんでもない話しかしないの。
だけど、「おはよう」「いってらっしゃい!」なんて言葉を交わしただけで、『今日も良い日だなー!!』って本気で思うのだ。
つまり、あなたの存在は、誰かにとって小さくても大きいということ。
その関係に名前がなくとも、
あなたに会って一言言葉を交わすだけで、幸せを感じる人がきっといるということ。
そんなことを、もう二度と会えないであろう「仲間」との最後の別れを惜しみながら、思ったのだった。
新しい場所でも、どうか心地良い人に恵まれますように。
そして、なるべく早く仲間と出会えますように!
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