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子どもの「できない」は、あなたの「できない」ではない

ついに娘(3歳)のトイトレがスタートした。

きっかけは、保育園の先生から「トレーニングパンツ履いてみませんか?」と言われたこと。どうやら娘と月齢の近い子たちはみな、トレーニングパンツを履いてトイトレ真っ最中だという。おむつ100%は娘だけだったのだ。

その事実に正直、「ウッ・・・」と思った。いつかおむつは取れるだろうと思って、まったくトイトレに関心がなかったわたし。だけど、「トイトレをしていないのは娘だけ」ということが、わたしを劣等生のような気持ちにさせた。


それからすぐにトレパンを買いに行った。「焦るな、娘のペースで少しずつやってみればいいんだ」と自分自身と娘に言い聞かせていたものの、実際は焦っていたと思う。

保育園でトレパンを履かせるようになってから、すぐに効果が出た。ちゃんとトイレに行くタイミングで上手におしっこが出るようになったそうだ。ほっとしたし、これでみんなと足並みそろったと思った。


だがしかし、そう簡単にいかないのがトイトレである。保育園ではうまくできても、家だとできないのだ。

パンツを履くものの、わたしが「そろそろトイレ行ってみようか?」と誘ってみても、「いかない」の一点張り。いまは出るタイミングじゃなかったか~と思っていた矢先、「おしっこでた」と事後報告。(というか冷静に考えて自分以外の尿意読み取るの無理すぎ)

「そっかそっか、おしっこ出たか。大丈夫よ、パンツ替えよっか」で済む話なのに、わたしの気持ちに余裕がないとき「ほら、だから行こうって言ったじゃん!」と言ってしまった。

娘、しゅん。わたし、自己嫌悪。


そこで考えた。なぜわたしはイライラしてしまうのか?なぜ焦るのか?
おそらく、「娘ができない」=「わたしはできない母親」とつなげて考えてしまっていたことが原因のようだった。

娘ができないということは、母親である私がそれをフォローしたりサポートしたりできていないということ、だと思ってしまっていた。だから、娘が保育園や健診で「できない」と言われたことは、「あなたできてないね」と直接言われているような気持ちになるのだ。


こうして書いてみて、とても思う。
それちがうよね、と。

親だから、リードしたり教えてあげたりする必要はあるけど、それをすぐに子どもができないからと言って、親が悪いわけではない。もちろん、子どもも悪くない。

娘とわたしは親子だけど、まったく別の人間である。娘には娘のペースがあり、得意・不得意があり、そのときの気分もある。わたしはそれを観察して、「そうかそうか、あなたはいまそうなのね」と理解するだけで充分なんじゃないだろうか。


子どもの「できない」は、あなたの「できない」ではないよ。
そんな言葉をわたしはわたしに贈ってあげたい。



余談

トイレに行くたびにご褒美としてシールを貼れるというポスターを貼ってみたけど、娘に見つかるや否やシールを奪われその役目は一瞬で終わった。(これうまく活用できてる人すごい)

3分で完成したトイトレできたよポスター

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