【選んで無職日記67】東京で生きる
2024/9/22
元々は大学進学で上京して、十年行かないくらいを東京で過ごした。
その時は、私はずっと東京に住むのだろうと思っていた。彼氏か夫かわからないけれど誰か見つかれば見つけて、難しければ一人で、どうにかこうにか仕事しながら暮らしていくのだろうと疑わなかった。
職場のパワハラにあって唐突に蜻蛉返りを決意してから、もう四年ほどが経つ。
私の家族は気軽に東京に行く。飛行機で一時間半なら近いと、こまめに小旅行をする。今回は母のお誕生日祝いとして私も付いてきた。
両親はライブへ行ったので私は仲の良い友人と北参道で待ち合わせし、青山を抜け表参道に行き、原宿を通り渋谷で解散した。iPhoneのヘルスケアを見ると、一万八千歩を超えていた。
日比谷ミッドタウンで夜ご飯のお弁当を買って帰る途中、なんだか寂しくなって泣けてきた。今日一日本当に楽しかったのに、途中暑さにやられて頭がぼうっとしていたし、もう少し行きたい店があったのに元気が無くて行けなかった。
両手に両親分を含めたお弁当の袋をかかえて駅からホテルに向かう道で、着ていたポロシャツの襟元が汗でベタつくのを感じていた。風は生ぬるくて気持ちが悪く、秋の様子さえないのに鈴虫が鳴いていた。
私はこの街に生きていたのか。
唐突によぎる社会人時代の東京生活。暑い夏の電車通勤。職場の同僚と仕事帰りにご飯を食べたこと。あの時はこんなに暑かっただろうか?
私の身体を容赦なく蝕む”暑さ”に嫌悪感が止まらなかった。今住んでいる街とは十度くらいの差があるのだから当然の感情なのに、この暑さそのものが私を東京から引き剥がそうとしているような感覚があった。
こんなに暑いんじゃもうこの街には住めない、と、外を歩いていた時に何度も思った。暑いから建物に入ると悪寒がするほど寒いし、そのまま外に出たらじとりと汗をかくような湿気。からりとしているならまだしも、生暖かい風が首や脇や手のひらをなめていく。
早く帰りたいと思った。私が今住む場所が、私の帰る場所だと初めて思った。同時に夫にも会いたくなったし、ライブに行っている両親も早く帰ってきて欲しかった。私は孤独だった。
行きたかった初台の本屋に行く元気が無かったのが悔やまれる。だからこうして今暇つぶしに文章を書いている。
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