見出し画像

1-3 売り場明日リバース 分散と集中の内界


「おはようございます」昼に僕はすれ違う従業員らにこの国の言語で挨拶をするんだよ。

「おはようございます」ほかの者も僕にそう言うんだ。

働き手の始業時刻が朝、昼、夕、夜と多様であることから従業員同士の出会いの挨拶をおはようございますに統一している。そもそもなぜ挨拶は数種類あるのかな、そもそもなぜ挨拶はあるのかな。

「おはようございます」後輩から。

「おはようおはよう」僕から。

「おはよう」誰かから。

多くの従業員が顕現しているよ。年末なので。客に変貌した社会人たちが1階の食品売り場、2階の生活用品売り場に押し寄せてくるさまはヌーの大移動のようだ。陳列された商品がどんどん失われていくので、従業員の数が多いに越したことはない。

今日は食品売り場在籍の大学生のパートタイマーが全員出勤しているかもしれない。ドライ食品部門で15人くらい。通常、働く日は曜日に基づき決まる。たとえば僕は、日曜は休み、月曜は夕から夜に勤務、火曜は休み、水曜は夜に勤務、木曜は夕から夜に勤務、金曜日は休み、土曜は昼から夜に勤務。

でも、こうしたいわゆる繁忙期という特殊条件下は日月火水木金土それぞれの間にある障壁を取り除く曜日のバリアフリーによって戦力を集める。店の裏側には今たくさんの品、そしてたくさんの運び手、置き手、並べ手。

「さすがに今日は店員が多いな」バックヤードで主任は言ったよ。

「いっぱいいる」僕は口にするよ。「オールスターだ」

「あんまり会わないですよね」後輩が僕に話しかけたよ。

「会わないよね」僕は答えたよ。「シフト変わってからね、あんなにいつも一緒に店にいる感じだったのにね」

僕ではない力は、僕という力がないときに求められる。逆もそう。僕の裏が彼、彼の裏が僕というふうに補完し合うのが効率的な働きなんだよ。平時は分散させておき、そして今まさに裏と裏が合わさり表あるいは裏となったんだね。

今日はカップ麺が多いね。ラーメンではないよ。そばである。この国では1年の終わりにそばを食べる風習があって、そのそばにインスタント食品を採用する家庭があるみたいで、主に彼らに販売するため毎年大量に店頭に並べるんだよ。

「すみません」客の老爺が僕に話しかけてきたよ。「前までここに置いてあった、スパゲッティのソースは、もうなくなっちゃったのかな」

「スパゲッティのソースですか」

角切りのお餅が山積みされているこのエリアは現在年始にお餅を食べる文化に従って変容しているものの、普段スパゲッティのソースが並べられている場合はあるよ。しかし、必ずしも常にではない。一時期置いて変更する、その後また戻すなどを繰り返している。すなわち、僕は彼がたった今述べた「前まで」という表現が具体的に何時代を指し示しているのかわからないのだ。

「もう全部なくなっちゃったのかな?」その老爺は言うのだったよ。

「そうですね、ここに色々な商品置いてたりするので、スパゲッティのコーナーに行ってみて」

「スパゲッティのコーナーはどこなの」

「あちらのほうなんですけど」僕は誘導を始め、人が押し詰まった道をともに進むよ。

「ああ、ここがスパゲッティのところね、はいはい」おじいちゃんは納得したようだったよ。「ありがとうありがとう」

「大丈夫ですか」

「大丈夫大丈夫、悪いね」

彼はスパゲッティをこの店で買うことがありながら、本来の置き場を知っていなかったんだな。僕は彼から離れかけたが、彼がどのスパゲッティソースを求めていたのかについてはさすがに気になるので様子を窺うよ。すると彼が手に取ってかごに置いたのはナポリタンの袋だったよ。

大晦日直前だからといって大晦日の食べ物に関することを尋ねられるとは限らないのである。あのおじいさんはスパゲッティを食べるんだ。おいしそうだよね、年越しスパゲッティもね。

「世の中の人々は休みなんだよね」休憩室で学生アルバイトの友達が述べるのだったよ。

色々だからね。みんなが働いている裏側で自分も働く。みんなが働いている裏側で自分は働かない。みんなが働いていない裏側で自分は働く。みんなが働いていない裏側で自分も働かない。

「卒論ってもう終わった?」僕と同じ大学4年生の者が僕に訊くんだよ。

「大体終わったかな」

僕のような教育学部国語専修に所属する者と異なって、工学部で情報技術を真面目に学ぶ彼は学業が非常に困難なんだよ。労働者として有能な彼が試験前の数日間試験勉強という理由で勤務を休むのをたびたび見てきた。僕の場合は勉強のためにアルバイトを休むなんて選択肢はあり得ない。

「発表会みたいなのって、そっちはあるの」工学部の彼による質問だよ。

「多分ないよ」僕は答えたよ。「理系みたいにちゃんとした集まりとかはないよ。部屋でこそっと集まって一応話すみたいなのはあるかもしれないけどね、自分のゼミが全員で3人しかいないしね」

柔らかい宝石のように光るまぐろの切り身を僕は割り箸で挟み、ごはんの塊の上から取り外してあげて、そして醤油の池で軽く泳がせてあげるんだよ。切られた魚の裏側にわさびは塗られていないんだよ。働き手には店から弁当が支給されて、僕たちはいくつかの選択肢の中から寿司を選びとることがしばしばなんだ。

売り場に戻った僕はやがて閉店の時刻を知らせる音楽を聞くよ。店員たちは売り場に出ているかごをバックヤードに移す、通路の隅に置かれたままになっている段ボールを撤去する、冷蔵棚の明かりを消して透明なカーテンを閉めるなどの後片付けを展開していくんだよ。

「お疲れ様です」みんなが言い合い、売り場からバックヤードに歩くんだよ。

「あの、私」レジ担当の女子学生アルバイトが僕たち食品売り場の男子学生アルバイトの集まりに声を掛けたよ。「今日で最後なんです」

「今日で終わり?」男子学生が答えたよ。

「うん。今日で最後なの」彼女は肯定するのだよ。

「もう卒論できてるの」彼は尋ねたよ。

「できてるよ」彼女は答え、僕を含むこの辺りの人々に目を合わせたよ。「すみません、お世話になりました。よいお年を」

僕はこの女子の辞め時を考えていなかったよ。同じ大学に通う同い年だったんだね。知らなかったよ。卒業するのなら、年を越す直前である今の時期くらいに退職するのも不自然ではないね。

いないからいるへ、いるからいないへ。僕も辞めるんだよ。今すぐには辞めないけどね。更衣室で外して丸めてロッカーに仕舞った、醤油、ウスターソース、ボールペンの塗料などが付着した緑色のエプロンを次の出勤時に着用するんだよ。

【本質のテキスト1「売り場明日リバース」の「4面 少年と少女の外界」に続きます】


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?