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【ココロコラム】普通が大切

雑誌を見ていると、「○○○で差をつける」「○○○できれいになる」「○○○な女になるためには」といったあおり記事が山のように掲載されています。

「年収1000万円」とか「ウエストをあと5センチ縮める」など、具体的な数値の目標を挙げる、あるいは「春に向けての着こなしブランド」「セレブ御用達のレストラン」「モテ顔芸能人」など、ブランド名や人名などの固有名詞を刺激的に使って、読者の気を引くような書き方をしています。

具体的な記述だけに、読んでいて刺激があるのは確かです。あれもほしい、これも手に入れたいという思いになりがちです。

しかし、数字やブランドには実体がありません。それを手に入れたからといって、自分という人間が何か革命的に変わるとか、心からの幸福感や満足感が得られるということはない。精神科的に見ると、【買い物依存症】【昇進うつ病】【摂食障害】など、この手の具体的な目標に執着した状態がココロの不調をきたすことがけっこうあります。

数値や固有名詞にこだわりを過剰に持つと、気疲れの大きな原因になってしまいます。目標を持つのは人生に必要なことではありますが、「これを手に入れて他人と差をつける」「目標を達成できなければおしまいだ」「これがないとどうしても満足できない」といった考え方は、できるだけ避けるほうが無難です。

一方、自分の内面についての記事によくある言葉が、個性、感性、オンリーワン、自分だけの魅力といった用語です。ことさらに「他人とは違う、かけがえのない私」というイメージを強調している記述が目に付きます。

外見的な要素で目立つ個性はないけれど、内面では大いに個性を発揮して素敵な自分になるというような文章が多い。その結果、無理に個性を追求している人がかなりいます。内面で差をつけようというわけです。これは、表面に現れないだけで、発想としては外的条件へのこだわりと大差がありません。

つまり、昨今メディアで強調されているのは、外面も内面も、「非凡で、個性のある、他の誰にもマネできない私」というようなメッセージです。その裏側には、普通とか平凡であることに恐れを持つ人がとても多いことを意味しています。

精神科の臨床でも、「自分は平凡な人とは違う」という劣等感、あるいは優越感を抱いている人が圧倒的多数です。すごい人になると、何か不安や苦しいことに対して質問しても、「自分の悩みは平凡でないのだから、簡単にわかられてたまるか」というような態度を取る人がいます。

ここに落とし穴があるような気がしてなりません。普通であること、平凡であることは決して悪いことではありません。才能があるとか、他人とかなり違った個性を持つことは、確かにある種の優越感は得られますが、理解や共感をしてくれる人が少なくなる、孤独感を感じやすいといったデメリットと表裏一体です。自分の周りの「個性的な人」や「できる人」をよく見てみましょう。その個性や特徴を手に入れて、いいこともあるでしょうが、同時に人知れぬ悩みがあるはずです。

外見にせよ内面にせよ、個性や取り得を考えすぎないことが、心の健康のためには必要なことではないかと思います。むしろ、普通な自分、平凡な自分を好きになり、満足することのほうがはるかに大切です。平凡であることを恐れないことです。自分は他人とは違う何かを持っているから好きなのではなく、とくに変わったところもなく普通だけど、なんとなく好きという考え方をぜひしていただきたいと思います。

(精神科医・西村鋭介)


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