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母がいた-7

Netflixでハリーポッターが公開されている。ハリーポッターっていつの間にか公開終了しては、またいつの間にか復活してランキングに食い込んでない?話題作り?なの?スタジオツアーとかやってるからなの?

いやまあ公開されるたびにまんまとその戦略に乗せられて、1から観返しては「JKローリングすげー」と思っている僕が言うのもどうなんだ、という話ではあるのだが。

僕のハリポタ好きは母からの影響が大いに関係している。母はハリーポッターが大好きだった。それはもうマジで大好きだった。当時でいう「マニア」に分類されるほど。たしか賢者の石が刊行されて、少し話題になり始めたころ、姉が友人から借りてきたのではなかったか。リビングのテーブルにポイと置かれたその本を手に取って、母が姉に「何の本?」と聞いていたのを覚えている。

タイトルの「賢者の石」の表記を見て、「二コラ・フラメルが出てくるの?カバラの秘宝の?」と姉に尋ねていた。姉に「ニコラスじゃなくて?カバラ?なに?」と返されて会話にならずお互い首をひねっていた。当時は「へー」と思いながら聞いていたが、今思えばどうしてそんなことを知っていたのか。

母はとても博識だった。学術的な知識が豊富というよりは、今でいう雑学王のような知識を多く蓄えていた。この文化はここが発祥だとか、この言葉の語源はこうだとか。僕は母の雑学を聞くのが好きだった。その名残は今ものこっていて、知らない単語や文化をみつけては、意味や由来を調べている。

話がそれた。ともかく母は、姉の持ち帰ったその一冊の本に大いに魅了された。何度も読み返し、翌週には自分用の新品を買ってきていた。そこから母のハリポタ熱はぐんぐんと上昇し続け、新刊告知が出るたびに近所の本屋さんで取り置き予約をするほどになった。そのころには映画も放映されており、公開前日には「あのシーンは削るのかな」「ハーマイオニー役の子が可愛すぎない?」「ハリーの目は青じゃないのに」と厄介オタクのようなことをぶつぶつ言っていた。まあ文句の10倍は「楽しみだ」と言っていたのだが。

きっかけを作った姉はというと、当時は活字をあまり読まなかったようで1巻の途中で投げ出していた。母が大ハマりする理由を作った本人が、母からあらすじを聞くという奇妙な構図が出来上がっていて、僕はそれを傍から見ながら「変な親子」と言っていたのを覚えている。

ある日、映画を観にいった母がスキップをしながら箒を持って帰ってきた。ホームセンターで見かける掃除用の箒ではなく、映画の中で見た空飛ぶ箒だった。というかニンバス2000だった。

「え、何!?でっっっか!ニンバス2000じゃん!本物じゃん!どうしたの!?」と聞くと、母は見たこともないほどニヤついて、「うへへへへ、買っちゃった」と言った。

その日福岡で一番大きな映画館に行った母は、映画の出来に大層感動し、気持ちの昂ぶりを維持したまま上映後にパンフレットを買おうとショップに立ち寄ったところ、数量限定で販売されていた1/1スケールのニンバス2000が目に入り、気が付くと金額を見ずにレジで購入していたらしい。

当時何度聞いても値段は教えてくれなかったし、それから値段のことは聞かなくなって忘れていたのだが、今ふと気になってオンラインショップで確認したらなんとお値段76,000円だった。めちゃくちゃ笑った。そりゃ言えんわ。

ともかくハリーの持っている箒を購入した母は、さらにハリポタにハマりにハマり、毎晩映画を流しながら眠るようになった。そのセッティングは僕の役割で、「今夜は?」と聞いて「秘密の部屋!」と返されたらビデオテープをデッキに入れて電気を消す、というルーティンが出来上がった。そっか当時はまだVHSだったな。懐かしいな。テープが擦り切れるまで観てたから、画面が暗いシーンとかほぼ何も見えてなかったな。それだけ観るって今思うとすごい。

なぜ僕がビデオのセッティングをしていたかというと、当時母は患っていた病気が悪化して、両脚の膝から下を切断していたからだった。生活を送るために家族での介護が必要になった母は、あまり多くを望まなかった。

散歩や買い物にはよく行っていたが、僕ら家族への負担を減らすためか、車いすやベッドの上で一人で没頭できる趣味を見つけていった。ハワイアンキルトや読書、料理やミニチュア集めなど。その中で大きな割合を占めていたのがハリーポッターだった。

「お母さんはもう歩いたりできんけど、ハリー達のお話を読んでたら自分も空を飛んでクィディッチをやってる気分になれるんよ」と母はよく言っていた。母はこの物語にどれだけの希望と勇気をもらったのだろうか。毎晩誰もいないリビングの介護ベッドの上で、セリフを覚えるまで観た魔法使いたちの物語にどんな思いを馳せていたのだろうか。

母は体の不自由さに屈することなくそれからの日常を笑顔と共に送り、余命宣告をうけてなお「ハリーポッターが完結するまでは死ねない」と言い、本当に原作の結末を見届けるまで生き延びてみせた。それこそ魔法のような生命力で。

家族で母の話をするたびに、ハリーポッターの話題が必ずあがる。今も母が隣にいたら、どんな話をしていただろうか。映画の完結を祝い、舞台化を喜び、ファンタスティックビーストを観て、ホグワーツレガシーをプレイして、これからのドラマ化に向けて、どんな感想が飛び出ていただろう。また厄介オタクみたいなことを言うのかな。

いつか母に会えた時、話すことが多すぎて覚えてられるか自信がない。でも絶対に全部笑顔で聞くんだろうなと、Netflixのランキングに並ぶハリー達の顔をみながら思っている。

そうだ、ニンバス2000を押入れにしまっていたら箒の先がへにょへにょに曲がってしまったことをまず謝らないといけない。笑ってしばかれそうだが、それも少し楽しみだ。

魔法の世界に憧れて
それらを自らの希望にして
楽しそうに僕らに語る
そんな、母がいた。

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