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母がいた-5

最近、家の近くに唐揚げ屋さんが乱立している。やれ元祖だやれ伝説だと頭に称号をくっつけた唐揚げ屋さんができている。世はまさに唐揚げ激戦時代。見かけるたびに「唐揚げだなあ」と思うのだが、僕はあまり唐揚げを食べない。

外食に行ったときやお弁当を買うときに、メニューに唐揚げがあってもあまり惹かれない。嫌いというわけではなくて、味は好きだし出てきたら喜んで食べる。ただそれは「鶏を揚げたもの」として食べていて、「唐揚げ」として食べているのとは、少し違う。

なぜそうなったかというと、母の作る唐揚げがどのお店の唐揚げとも違ったからだ。母の唐揚げは独特で、あれはなんだろう、小麦粉ほどカリカリでなく片栗粉ほどふかふかではない何かだった。カラッと揚がっていても、ほんのり白い唐揚げだった。下味はそこまで濃くはなく、我が家では唐揚げに甘い醤油をつけて食べていた。この話をすると十中八九「醤油!?」と驚かれるのだが、そうしていたのでありのままを伝えるしかない。

そんなわけで、僕の中の唐揚げのデフォルトは母がちゃんこと呼ばれていたことにちなんで名づけられた「ちゃんこの唐揚げ」になったのだ。ちゃんこの唐揚げの人気はすさまじく、友人や親戚、果てはご近所さんまで、我が家にちゃんこの唐揚げを食べに来ていた。今考えたらすごい話だ。飲食店でもないのに特定のメニューを求めて多くの人が食べにくる。末恐ろしい、ちゃんこの唐揚げ。

付け合わせに必ず作っていたポテトサラダも絶品だった。おいおいそれはさすがにどうなんだと思うほどのマヨネーズと、少しの醤油にマスタード、それと黒コショウが入っていた気がする。その2点が食卓に並ぶらしいと分かった日には、我が家はちゃんこの唐揚げを中心としたスケジュールが組まれた。僕はできるだけおなかをすかせるために外で遊び、姉は友人とのマックを断り、いつもは帰りの遅い父も早めに仕事を切り上げて奮発したビールを買って帰ってきた。あれはもうちょっとしたイベントだった。

爆発的人気を獲得し、ごく狭い地域で一世を風靡したちゃんこの唐揚げは、母が他界するとともに幻の存在となってしまった。こんなことならレシピを聞いておけばよかったと、ちょくちょく後悔している。

ただ、どうやら姉はそのレシピを知っているらしいということが最近分かった。本当ならすぐにでもそのレシピを聞き出して、家で大量のちゃんこの唐揚げをつくるつもりだったのだが、なぜか聞く気になれないまま数年が過ぎた。

たぶん、僕は母の唐揚げを思い出のままにしていたいのだ。すごくおいしい唐揚げを食べ、家族全員で食卓を囲み、みんなで世界まる見えをみていたあの時間を、そのまま大事に抱えていたいのだと思う。

実際に作ってみて、当時の味がして、それが自分で作れるものになってしまったら、なんとなくあの時間が薄れてしまうような気がしている。

今でも食べたいし、それでお酒も飲みたいし、誰かにふるまってみたい。けど、たぶんこのまま、僕はあの時間を思い出の一つとして仕舞ったまま、「唐揚げ」=「ちゃんこの唐揚げ」の式を崩さずに生きていくのだろうと思う。ちゃんこの唐揚げよ、永遠なれ。

とんでもなくおいしい唐揚げをつくり
飽きのこないポテトサラダをこしらえ
たくさんの人の唐揚げの概念を覆した
そんな、母がいた。

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