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母がいた-3

先日、友人にゲーミングPCを譲ってもらい念願のsteam環境を手に入れた。10年以上Macユーザーの僕は、中学校の授業以来のWindows操作に翻弄されながら少しずつゲームを楽しんでいる。でも昔と比べてゲームできる時間が短くなったような気もする。丸一日できてたことない?ゲームって。

ゲームといえば、こんなことがあった。
小学校1,2年生くらいの冬、確か金曜ロードショーを観ていた時だったと思う。仕事帰りの母が、大きな箱を抱えていた。キャンディケーンやトナカイの描かれた包装紙だったので、クリスマスだったか。

そうだクリスマスだった。その日の昼、姉とふたりでクリスマスディナーを作ったことを思い出した。作ったといっても料理をしたわけではなくて、丸めた新聞紙を茶色に塗ってハンバーグにしたり、水に絵の具をといてコーンスープを作ったりした。懐かしい。あれ飲まされたな。ひどいな姉。

話がそれた。そのクリスマスの夜、母は抱えた箱をリビングの机の上に置き、「開けてみて」と言った。本当は紙をビリビリに破いて中身を天高くかかげたいくらい興奮していた。こんな大きなプレゼントはもらったことがなかったから。

そんな気持ちを抑えて、箱側面にある三角形の綺麗な折込部分から丁寧にシールをはがし、包装紙を破らないように少しずつ開いていくと、中から出てきた箱には「NINTENDO64」とプリントされていた。

当時我が家にあった最新のゲーム機はスーファミで、友達の家で見る64やプレステなどの最新ゲーム機に憧れていた僕は、体が固まり汗が噴き出した。

心の中では「ろくよん!!!!」と狂喜乱舞大行進待ったなしの雄たけびをあげていたが、なぜかその喜びは小さな声で「こんな….よいものを….とても….すごく….」とぽつぽつこぼれる形で表現された。「人ってうれしすぎるときはおとなみたいなことばがでるんだ」と考えたことを今思い出した。わかる、突然大きすぎる幸せが来ると敬意をはらいたくなる。あれなんなんだろうね。

開封の儀を続行すると、同梱されていたソフトは「ゼルダの伝説 時のオカリナ」だった。母は「お母さんこれやってみたくて」と言い、小躍りする僕を見て笑いながらテレビに接続してくれた。

起動音やゲームのグラフィック、コントローラーの質感、すべてがカッコいい。しかもソフトはゼルダだ。ずっとほしかった。これをおかあさんも欲しがっていたとは、なんというラッキー!と、当時の僕は疑いもせず母の言葉にのっかってしめしめと喜んでいた。

母は開始直後、リンクの家の中を少し歩き回ったあと「お母さんには難しいや、わからないからだいすけやって」とコントローラーを僕に手渡す。

「いいの!?ぼくがやるよ!?」とはちゃめちゃに大きな声で鼻息をふんふん鳴らしながらコントローラーを受け取り、テレビ画面にかじりつく僕を見て、母はどんな顔をしていたんだろう。その時はゲームに夢中で見ることができなかったけど、笑顔でいてくれたなら、うれしい。

もちろん母はゲームに興味はなく、クリスマスプレゼントとして僕に64を買ってきてくれたのだが、今思えば母にとってかなり覚悟のいる買い物だったはずなのだ。

当時我が家は裕福な家庭ではなく、(当時はあまり自覚していなかったが)生活にも大変苦労していたようだった。スーパーに買い物に行っても「見るだけね」が合言葉になっていたくらいには。

当時の僕はというと、比較対象もなくそれが普通だと思っていたので、特に気に留めることもなく過ごしていたのだが、両親は申し訳なく思っていたらしい。物をねだることもなく自分で「みるだけね」と言う僕を見て、64を買うと決めたそうだ。

母は生活費を切り詰めるところを僕に見せることはなかったが、節約し、欲しいものを我慢して、あの64を買ってくれたのだ。

それからというもの僕はゲームにハマりまくり、宿題を放り出し、夜中にこっそりとリビングに忍び込み、とにかく遊んだ。遊びすぎていよいよ父を怒らせ、星のカービィ64のソフトをハンマーでたたき割られギャン泣きするまで遊んだ。あれはまじでトラウマ。

今はもう遊ぶこともなくなったが、あのクリスマスに母が買ってきてくれた64は押入れの中で大切に保管している。押入れを開くと、少しだけ母の匂いがする。忘れたくない。

そんな話を、友人に譲ってもらったゲーミングPCで遊びながら思い出した。

子供のために節約して
自分が欲しいものよりずっと高いゲームを買って
わからないからやって、と
子供に気をつかわせないようにふるまってくれる
そんな母がいた。

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