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母がいた-34

今朝、少し上等なわらび餅をたべた。姉からお土産でもらったものだ。本わらびを使った昔ながらのわらび餅で、なんと消費期限が1日しかない。悪くなる前にと朝ご飯に食べたのだが、これが本当においしかった。付属の黒蜜を垂らさなくても十分にやさしい甘さと、冷やされたつめたいわらび餅の喉越しが夏に嬉しい涼やかさを感じさせてくれた。美味しいお土産をありがとう、姉。

甘い和菓子を食べているうちに、母の「疲れのバロメーター」について思い出したことがあるので、忘れないうちに書いておこうと思う。

以前もここに書いたが、母は和菓子が大好きだった。今日僕が食べたわらび餅も大好きだったし、饅頭に練り切り、鶏卵素麵もお気に入りだった。鶏卵素麺というのは福岡の銘菓で、卵黄と糖蜜だけで作られたお菓子。これでもかというくらい甘いお菓子だ。絶対にお前の血糖値を爆上げしてやる、という気概を感じるくらい甘い。食べたことがない人はぜひ一度ご賞味あれ。


鶏卵素麺。虫歯絶対悪化マン。

話がそれた。そんな甘いもの、特に和菓子が好きな母は、嫌なことがあった時や疲れている時のために、常に冷蔵庫に羊羹をストックしていた。最近コンビニで売っているようなひとくち羊羹ではなく、デデンと大きな1本の羊羹だ。あれを冷蔵庫から取り出し、包装紙を乱暴に剥いてかじりつく母の姿はさながら羊羹を食うサトゥルヌスのようだった。

そんな対非常時用常備型羊羹は、母以外触れることを許されていなかった。僕や姉、父にとっても完全な不可侵領域だ。母にとってのサンクチュアリ。いつも冷蔵庫の定位置に鎮座している羊羹が姿を消していたら、「ああ今日何かあったんだな」と我々家族はほんのり母の心情を察していた。

羊羹以外にも、母の疲れを気付かせるものは随所にあった。それは灰皿のタバコの本数であったり、調理中の母の発言の頻度であったり、飲んでいるコーヒーのお砂糖量であったり。小学生の僕はそれらを確認しつつ、母への対応を決めていた記憶がある。子どもって本当に大人をよく見ていたなと感じる。

ある日、小学生の僕が麦茶を飲もうと冷蔵庫を開けるといつもは1本の羊羹が2本おかれていることに気づいた。これはただごとではない。母の様子を確認する。ため息多し。タバコを吸っている。ライターで机をコツコツ。良くないぞこれは。非常事態だ。

そう思った僕は、小さなけろけろけろっぴの財布を握りしめて家を出た。小走りで近くのケーキ屋さんに入った僕は母の好きなショートケーキを買い、これまた小走りで家に戻る。リビングに入った時、母は1本目の羊羹を食べ終えていた。早すぎる。ちゃんと噛んでんのかそれ。

ケーキを進呈すると、母は嬉しそうに「なんで食べたいものが分かったの!」と言いながら上に乗ったイチゴをつまんで食べる。よかった、母は元気を取り戻したらしい。

そうして学校での話や今度の休みに何をするかなどを話し合っていると、父が帰宅した。その手にはケーキの箱。どうやら母の機嫌があまりよろしくないと感じ取った父もケーキを買ってきていたようだ。父と僕は目が合ってから、少し笑った。

母はというと、サプライズのケーキ2個に喜んで椅子に座ったままちょっと踊っていた。よっぽど嬉しかったみたいだ。ケーキを食べる母から話を聞くと、公私ともに面倒ごとに巻き込まれていたそうだ。だから羊羹が2本あったのか。

何はともあれ機嫌を良くした母は、その日家族が大好きな唐揚げをこしらえてお返しをしてくれた。父、姉、僕の3人は母の機嫌維持の大切さを唐揚げと一緒にかみしめ、「うまい!」と声をそろえた。

母の影響かどうかはわからないけれど、僕もストレスを感じたときは甘いもので簡単に回復できる人だったりする。糖分は偉大。ちょろいといえばちょろいそんな性質は、豆腐メンタルの僕にとって救いになっている。ありがてえ。

今日思い出したのは、そんな話。甘いものと疲れのバロメーター。この話を書いていたら甘いものが食べたくなってきた。疲れているというわけではなく、単純に甘いものが好きなので。なんか買いに行ってきます。

分かりやすく、単純で
甘いもので元気になる
そんな、母がいた。

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