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母がいた-15

僕は何かを表現するのが好きだ。絵だったり、文章だったり、会話だったり。誰かに「いいねえ」と言ってもらえたり、「わかるわー」と共感してもらえたりすることが、とてもうれしい。

その根本にあるのは、やはり母との思い出だった。母は保育園に勤めていたことがあるらしい。その時の経験からか、僕が小さいころにはよく絵を描いてくれていた。動物や、草花の絵が多かったような気がする。ピアノを弾いてくれたり、自分で考えたお話を語り聞かせてくれたりもした。小さな僕は「おかあさんは何でもできるすごい人だ」と子どもながらに感心していた記憶がある。

このことについて考えていると、幼稚園のころの記憶をひとつ思い出した。僕の通っていた幼稚園では、卒園アルバムは自分で絵を描いて、それを表紙にするのが恒例になっていた。当時の僕はお絵描きにはあまり興味がなくて、面倒くさいな、とか思っていた気がする。お母さんが描いてくれれば上手でかっこいいアルバムになるから頼みたいな、とも思っていた。

それでも自分で描かなきゃいけないならできるだけがんばって描こうと思い、確かポケモンを描いたんだ。そうだった。プリンとか、マルマインとか、できるだけ丸くて簡単そうなポケモンを描いた気がする。

完成した絵はまあ幼稚園児の絵、という感じで、絵の具ははみ出していたし丸の形もぐちゃぐちゃなものだった。背景にはたくさん余白があったから、全部黄緑で塗って草っぱら、ということにした。

完成したアルバムはあまり出来の良いものではなくて、同い年の絵が上手な子たちが可愛いウサギやかっこいいライオンの描かれたアルバムを持っているのをみて、なんとなく惨めな気持ちになったのを覚えている。

卒園式を終えて、配られたアルバムをもって母と一緒に帰る。「だいすけは何の絵を描いたと?」と母が声をかけてくれたが、「お母さんみたいに上手に描けんかった」と少しスネながらアルバムを手渡す。

すると母は「うまい!」「色づかいが良い!」「丸がキレイで最高!」と言って、僕の卒園アルバムをべた褒めしてくれた。自分の絵に自信がなくて卑屈になっていた僕は、まさか褒められるとは思っていなかったので顔を真っ赤にしながら「そんなことない」と照れた。

でも、それがものすごく嬉しかった。汗が出て、頭がじんじんするくらい嬉しかった。自分が作ったものを、その分野で尊敬している人に認められた初めての経験だった。こんなにうれしい気持ちになるんだと驚いた記憶がある。

それから僕はお絵描きが好きになった。どう描けばかっこいいか、何を描いたらまたあんなに嬉しくなれるか、あの時の頭がじんじんする感覚をまた味わいたいと思いながら、たくさん絵を描いた。そのたびに母は「構図がいい」「また上手くなったね」と褒め続けてくれて、僕のものづくりに対する意欲を高めてくれた。

そうだ、一緒に1枚の紙に絵を描くのが好きだった。交互に1つずつ何かを描いていって、1枚の絵を完成させる遊びだった。動物、草、川、雲、太陽、ちょうちょ、人。出来上がった絵を見て、この人は今〇〇をしていて、このあと雨が降って、びしょぬれになるんだ、と物語を作って遊んだ。

絵も、作文も、母はとにかく褒めてくれた。僕が空を赤で塗っても直させようとはしなかったし、擬音だらけの作文を書いても「独創的だ」と褒めてくれた。僕はどんどんものづくりが好きになって、ついにはデザイナー・イラストレーターとして生計を立てられるまでになった。

仕事で納品したイラストが好評だった時、デザインを気に入ってもらえた時、このnoteの記事を褒めてもらえた時、あの頭がじんじんする感覚が少しある。誰かに褒めてもらえて、共感してもらえて、喜んでもらえることが、今でも大好きなのだ。

今は当時の母よりも上手に絵が描けるようになったし、一部の仕事で文章を書くこともある。それでもひとつの仕事を仕上げた時、あの時の母に「すごいね」と言われる想像をして、頭がじん、とする。今はもういない母に褒めてもらいながら、僕は今日も何かを作っている。

誰かの自信の芽をつぶさないよう
誰かの可能性をなくさないよう
優しく見守って育ててくれる
そんな、母がいた。

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