母がいた-38
今日はなんていうか、調子の悪い日だった。動く気になれなくて、本当に1日中ずっと寝ていた。僕にはたまにこういう日があって、そういう日は寝る以外対処法がなかったりする。今も気づけば夜中の3時になっている。
実をいうと母もメンタル的に不安定なところがあり、今日の僕のように「動けない日」がある人だった。人間だれしもそうなのかもしれないが、僕ら親子はそのあたりが少し顕著だったように思う。
僕と違い母は「動けない日」がくると、午前中の間にすべてを済ませてしまう人だった。夕食の料理から、掃除や洗濯まで、本格的に動けなくなる前に終わらせてしまって、僕ら家族に「今日のお母さんは営業終了です」と宣言して部屋にこもる。僕ら家族はそれに慣れていたので、母には触れず用意された夕食を食べながらおいしいねえ、などと話をしていた。
ここ数年で自分も「動けない日」が出てくるようになって、改めて振り返ると母はすごいことをしていたんだなあと感心する。
とにかく気分が落ち込んで誰かのことなんて考える余裕がないこの状態で、後回しにしたくなる料理や洗濯を済ませてしまえるのは本当に家族を大切にしてくれていたからなんだろうなと感じた。
感じていたのだけど、今日少しその母の気持ちの片鱗を垣間見たような気がする。というのも、数日前から父が「きゅうりの酢の物が食べたい」と言っていたことを思い出し、なんとなくその料理だけはできたのだ。
今日は何もしたくないな、ベッドから動けないな、と思うとともに「それでも何かしてあげたいな」と思った。まともに働かない頭をずるずるとまわして、きゅうりの酢の物を作る。ついでに晩御飯の用意も済ませてみた。
すると、なんていうか「ある程度のことはやったしあとは寝てていいか」という気持ちになって少し落ち着けたのだ。感謝や見返りを求めるというよりも自分の中の気持ちに折り合いがつけられた。後ろめたさがなくなったというか。
母もこんな気持ちだったのだろうか。自分のためではない何かの行動を起こすことで、結果自分が癒されていた。少しいびつかもしれないけど、これも愛の形の一つだな、とぼんやりする頭で考えた。
今日そんな経験をしたことで、あの時の母が嫌々やっていたわけではないのかもしれないと気付けたことが、なんとなく嬉しい。
だるくて、陰鬱で、どうしようもなく自分を責めてしまう時でも、誰かのために何かをすることで少しだけ自分を認めてあげられるようになる。自尊心を保つために他者を媒介にすることには抵抗があるしそれを一概に良しとする気にはなれないけれど、そこに見返りを求める心がないだけで健全なものになっている気がした。
持ちつ持たれつ、という言葉が一番しっくりくるかもしれない。純粋な善意でなくとも、愛情が原動力になってこうしてお互いの気持ちのバランスが取れるというのは人間の感情がもつ複雑性の中でも比較的ポジティブな部分だと思う。
まだ頭はうまく回らない。何かをすることが億劫なままではあるけど、少し気持ちが軽くなったような気がした。
主題とはそれるが、億劫という言葉を使って思い出した。みなさんは億劫の語源をご存じだろうか。実はこの「劫」という部分は仏教用語からきている。とてつもなく大きな岩があって、そこに三千年にいちど空から天女が舞い降りてきて、身に着けている羽衣でさらり、と撫でる。それをくりかえして岩がすり減ってなくなるまでの時間を「一劫」という。それが「億(とてつもなく長く)」繰り返されるほどの時間を要するほどの手間、という意味で「億劫」というそうだ。
そう考えると気軽に億劫という言葉は使いづらいな。まあ書いてしまったので仕方ないか。頭の中がまとまらないまま書いた文章なので、まあ良しとする。明日にはすっきり動き出せるようになっていると良い。
僕ら家族のために料理や洗濯を
してくれているのだと思っていたら
もしかしたら自分自身も救われていたかもしれない
そんな、母がいた。
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